静悟の文学的空間

小説、読書感想、宮座賢治などについてのブログ

ライトメモリー2

 

僕の日常

僕の毎日は仕事としての他者へのヒーリング、後、自らの体へのセルフヒーリングと、それから記憶を取り戻すことに没頭する事、この3点を中心に今のところ回っていた。この生活にそれなりに満足している。今日もヒーリングを全て済ませた後夕方の散歩に近くの自然公園まで気分転換にやってきた。

(やはり公園はいい。のんびりとした気分になれるもの)

しかもこの自然公園は植物園のように森みたいになっていて、木陰が涼しく雰囲気も素敵でここにいるとそれだけでとても落ち着くのだった。僕にとってここは今一番大切な場所の一つでこの公園でその日の疲れを全て癒やして家に帰って深呼吸を繰り返しながら記憶を取り戻すというのが最近の一日の過ごし方だった。とりあえず今はこの公園ののどかで静かに流れてゆく時間が心地良いからこの空気を存分に堪能していようと思った。今何時なのかを特に気にする必要もない。ただ日が完全に暮れてしまったら家に戻ろうと少々眠気を感じながらもぼんやりベンチに座っていた。

楽しかったはずの幼少期の事を思い出すということ、それももうそんなに難しいことではなはずだと僕の心は告げている。

(そうだよね。15歳とかそれくらいの頃の事は既に思い出しているものね。)

この15歳という時期が何か重要なヒントのような気がした。僕はその頃学生で毎日学校に通っていて、だけどその事が負担で少々体に不具合が出てしまうことも時が往々にしてあった。あまり思い出したくはない記憶だけどあの時の大切な記憶も同時に思い出せる。そうだ、僕は絵が好きだったんだ、あの頃、僕は毎日家に帰って夢中になって家に籠もって絵を描いていた。あの頃は良かったなあ、ただ無心になって絵を描くという好きな作業に没頭出来ていた。今の僕はどうだろう?あの頃の僕は今の自分を見たらどう思うのかな?と少し沈んだ心地になりながら内省していたらふと雨がポツリポツリと降ってきて慌てて帰路についた。ちょっと待ってよ、あの頃の僕は雨なんてへっちゃらだったはずだよ?とふとそんな考えが頭をよぎった。本当に今の自分はあの頃とかけ離れすぎていて、それは望んでた未来ではなかったかもしれないと少々ダウナーな気分になっていた。これから僕はどうしたいんだろう?それさえ今の僕には分からなくなりつつある。家に帰ってとりあえず再び絵を描いてみようと決心した。

 

家の自室で絵筆を握った。あの頃は確かと絵を描きながら昔の感覚を取り戻してゆく。その作業が妙に楽しかった。どんどん感覚が脳が蘇ってゆく。あの頃の僕を取り戻せ!と心が感じるままに描いていったのだった。そうこうしている内にどうやら眠ってしまったらしい。気がつくと机につっぷしていたけれど何とか絵だけは汚さない体勢だった。久々で疲れたんだろうと自身を納得させつつ温かいシャワーを浴びて体を清潔にして朝食の準備をした。

今日も2件のヒーリングの予定が入っているだけどそれ以外では時間が取れる。もう少し描きすすめるべきかと独りごち、朝食を終え、さてと食後の散歩にでも繰り出すとしようか。

その日のヒーリングを終えて再び内省の時間を取っていた。もう昔の記憶を取り戻す事はとりあえず一旦置いておこう。これからの未来の事を考えてみようじゃないかと自分を励ます。その方が楽しいように思えてきた。

今日はあまり瞑想が捗る日ではないらしい。何だろう、うまく行かないな、仕方がないこんな時に僕に取れる選択肢はやはり散歩くらいだ。ついでに今日のところはどこかで夕飯を食べてこよう。玄関から出て通りを歩いていても夕飯時だからだろう、どこの家々からも美味しそうな匂いが漂ってきて、空腹を感じた。どこか近くに美味しい店はなかっただろうか?スマホで調べてみると小さな通りにチラホラと面白そうなショップを幾つか発見した。今日何が食べたいかと自問すると、すぐにパスタと浮かんだので、今日はこのイタリアンカフェにしてみようかとそちらに足を向けた。

新しく見つけたこのカフェは当たりだったようで、料理はどれも美味だった。生パスタはモチモチとしていて食感が楽しく、サラダの野菜は新鮮で多少冷えていて心地良かった。食後のオレンジジュースを飲みながら、若干暗い店内の様子を見回していると、どうも今晩は偶然にも、店内でライブが開催される日らしい。僕は若干興味を惹かれ、ゴタゴタと機材が店内に運び込まれライブの準備が整えられてゆくのを、既に空になりかけたジュースを最後の一滴まで啜理ながら、ぼんやりと眺めていたのだった。

ライブ

音楽にはそれ程詳しくないけど、多分今演奏されているのはジャズとかクラシックとかそういうジャンルの音楽なんだろうな、と思いつつゆったりとしたカフェの椅子に座りのんびりと傾聴していた。主に楽器を演奏しているのが男性達で紅一点の妙齢の女性が良くわからない歌詞の曲を熱唱していた。不思議な声の持ち主だった。声自体は低めで多分アルトと呼ばれる声域だろうと思うが、高い声を好む僕としても妙に心に迫るものを感じた。身体の芯を揺さぶるような声の持ち主が心を揺さぶるように歌ってくる事により、初めはぼんやりと聴いていた僕も次第に曲を聴く事に熱中していた。自分がカフェにいることさえ忘れるくらいに没頭していたのだった。5曲程歌い終えて、しばらく歓談の時間に入るらしい。簡単なメンバーの自己紹介が始まった。

「皆さんこんにちわ。バンド、エリクサーのボーカルの柊です。宜しくお願いします。私達このお店には時々来させてもらっています。良いお店ですよね、美味しいパスタが手頃な値段で食べれて、私もこの間ペペロンチーノを頂きましたが、とっても美味しくてついつい食べすぎてしまいました。ところで皆さん音楽は好きですか?私は小さい頃から歌が好きで、歌手になりたくて音大に今通っているのですが、なかなか私達もCDを出したりして頑張っているのですが、中々大した売上にはならなくて、難しいですね。皆さんもお店で私達のCDが置かれているのを見たら、是非購入してあげて下さい。」

軽い笑いが起きた。MCというやつだろう、バンドのボーカルはこんな風にして歌うだけではなく観客とのコミュニケーションを取る事もしなきゃだけら、大変だなと無口な僕は余計なお世話な事を考えていた。

「それでですね、私達もまだまだ実力不足でもっと自分達の能力を向上させないと、ということでこの間東京まで武者修行の旅に出てきたんです。それは路上バンドで得られる収入で出来るだけやりくりしようという物で、実際それだけでは全然足りなくて、本当にまだまだだなと痛感したのですが、その途中である女の子と出会ったんですよ。その女の子というのが、気の毒なのですが、病気で病院に入院していたんですけど、お母さんが私達のライブを聴きに来てくれていて、娘もきっとこういうの好きそうだからということで娘さんに私達のCDを紹介してくれたんです。それで実際に曲を聴いてくれたその子は凄く好きになったと言って、是非私達と会ってみたいと思ってくれたようなんです。私達の方としても、プロみたいに忙しい訳じゃありませんし、ファンの人達との交流も大切だと考えているので、一同揃ってという訳にもいきませんから、私だけその子のお見舞いがてら、病院の方に赴いて、お話をしてみたんです。その子はある重い病気を患っていて、自分の死期を何となく察していたんですね。私に聞いてきたんです。

「ねぇ、お姉さんは自分は何のために生まれてきたんだと思う?」

私はしばらく考えてこう答えました。

「やっぱり歌うためかな?歌っている時に一番自分は、ああ、生きてるんだな、って感じるから」って。

そしてちょっと落ち込んだような風にその女の子は、

「いいなぁ、私にもそう思えるものがあったらよかったのに」と言ってそれからこう言いました。

「私、何の為に生まれてきたんだろうって思う。学校にも馴染めなくて結局病気で死んでしまいそうになってるし、多分もうじき本当に死んじゃうと思う。お医者さんは其内良くなるって言ってるけど、多分嘘だと思うんだ。ほら、子供だから告知も本当ではないことを言うこともあるっていうじゃない?だけど、不思議だね、お姉さんの曲を聴いていると、私もちょっとは生きていることを実感出来るような気がする、きっとお姉さんにはそういう能力があるんだよ。歌を通して自分のエネルギーを伝える、みたいな能力がさ。だからこれからも頑張ってよ。私も影ながらというか、あの世からでも応援してるからさ。例え、売れなくても音楽をやめないでね、私との最後の約束だよ」って。

不覚にも涙してしまいましたよ、その子が苦しそうにゼイゼイと喘ぎながら

その長い台詞を言い終えた時には。私その旅の企画にはそんなに賛成じゃなくて、ウチの男性衆に引っ張られるようにして連れて行かれて、旅に疲れて、ちょっと自分に自信を失いつつあった時だったので、余計にですね、その言葉が心に響いて、こんなに小さな子がこんなにしっかりとした考えを持っていて、私なんかよりこの子の方がよっぽど才能あるのに、何でこの子に神様はもっと寿命をくれなかったのかとか、そんな事をつい考えてしまったのですが、とにかくそんなこんなで私に本当にそんな能力があるかどうかはさておいて、私これからも、恐らく一生歌い続けます。あの子との約束のためにも、皆さんに生きてゆこうっていう勇気を与えるためにもです!」

拍手が起きた。長い話しだったけど、僕も感動して無意識の内に拍手していた。それからも5曲程ジャズのような陽気な曲を演奏して、ライブは終了した。彼女の歌声に痺れながらも僕の頭の中では先程の話しがずっとリフレインしていた。

(生きていて良かったと思えるようなこと)

(生きてゆこうっていう勇気を皆さんに届ける)

僕もそんな事をキーワードに生きてみたらいいんじゃないだろうか。今晩は思いがけずいい出会いが出来て、此の事は僕にとって重要な事だから、今晩一晩かけてゆっくり考えてみようと、ついそのカフェで眠気覚ましのコーヒを買って僕は夜の眠気に抗うことに決めたのだった。