静悟の文学的空間

小説、読書感想、宮座賢治などについてのブログ

桜舞い散る今日この頃

ひらりと桜の花びらが窓から舞い込んできた。どこから来たのだろうと不思議に思った。近所には桜が咲いているところなんてないのに。寝転がっていた床からむくりと起き上がり、水を飲んだ。今日は何日だっけな?そうだ、今日から四月だった。寝てばかりいたので、時間感覚が狂っているが、暖かい春の陽に誘われて鴨川に散歩にでも行こうかという気分になった。いつまでも落ち込んでいても仕方ない。
いつもの自販機でカルピスを買って歩きながら飲む。やはりゴロゴロとばかりしていたので、体がなまっているのを感じた。まあいい、今日から普段通りの生活に戻ろう。
 
 ようやく到着した鴨川は人でいっぱいだった。お花見をしている人達も多数見受けられる。春はいい季節だなと素直に思う。手頃なベンチを見つけて、座っては、ポケットに突っ込んだままになっている小説を開いた。いつも思うのだが、家で読むのと鴨川で読むのとでは集中力が違う気がする。家ではそんなに集中して読めない。これも自然の恵みの一つなのかもしれないなと思った。それから周囲の雑音も気にならないままに一時間程読んでいた。太宰の人間失格を何度目になるか分からないまま、他に読む気にもならず今日も読んでいた。自分も大概変人で、生きづらさを抱えていると思うのだが、太宰は大変なものだなと思う。自分はそこまでじゃないと思って何だか安心するところがあった。
 4月はどんな月になるんだろうな、とぼんやりと考えた。どこか遠くへ行って、旅でもしたいなと思った。日本の美しい名所を片っ端から見て周りたい。昨日まで生きているのも嫌になって、部屋で転がってばかりいたのに、やはりまだまだこの世に未練があるようだ。せめて近場くらいゆっくり見て回るかと、鴨川を下って歩いて行った。桜が綺麗だ。子供達もはしゃいでいる。時々ギターを弾いている人がいた。何となく皆が幸せになるといいなと思った。

 結局あれから、丸太町辺りまで歩いて、そこからバスで帰ってきた。帰ってきてすぐにシャワーを浴びた。鏡を見ると、何だか痩せたようだった。無理もない。この一ヶ月程、一日一食くらいしか食べなかったからな。

 昼ご飯を食べる気にもならず、再びごろりとソファに寝転がって、村上春樹の小説を読み始めた。春樹の作品は読みやすくて、不思議な世界が好きだった。平易な文章だから脳も疲れなくて、休憩なしでも読める。そのまま夕方頃に最後まで読み終えて、パタリと本を閉じた。なんだか最近起きている間が苦痛だ。寝転がったまま目を閉じた。起きたくない。ずっと眠っていられたらいいと思う。だけど、やはり時間が来ないと眠る事は出来なかった。やれやれ。何でこんな苦しいのかな。生きることは苦であるというけど、僕の場合どうすれば救われるんだろうな。
 久しぶりに小説でも書こうかなと思う。創作によって自らを癒やす。それが僕には必要なのかもしれない。

 それから深夜にかけて、僕はパソコンに向かってパチパチと小説を書いていた。時にはドストエフスキーを時には賢治を意識して書いた。自分がどのくらいの技巧にあるのか、自分ではよく分からなかった。今度誰か知り合いにでも見てもらうかな。そのまま時々ミネラルウォーターを口にしながら、ひたすら小説を書いていった。

 時刻は既に夜の2時だった。一応短編小説が完成した。小さい頃に罪を犯してしまった人間が自然と戯れたり、社会奉仕することによって自らの魂を救済する話。読書の影響だなと思った。なんだか以前に書いた時より上手くなっている気がした。ゴロゴロと転がってばかりだったが、本だけは着実に読破数を増やしていったから、一応それなりに文章が上達したらしい。ともかくも、一仕事終えたのだし、空腹感を満たしに行こう。

 コンビニでパンと牛乳とプロテインバーを買って、近くの公園へと向かった。予想以上にお腹が空いていたらしく、ベンチに座って食べ始めると、この程度の量では全く足りなかった。家の近くには、お気に入りのカフェもレストランもあるのだが、この時間ではどちらもやっていない。手持ち無沙汰になり、僕は何となく夜の公園の暗闇と静けさを味わっていた。

 公園の自販機でオレンジジュースを買って飲んだ。スマホを見ると既に時間は3時に到達していた。昼夜逆転はよくない。帰って葉を磨いて寝ることにしよう。

 布団に入って、天井を眺めていた。何となく高校時代の事を思い出した。あの頃は今にも増して本の虫だった。そして、いつか新人賞を取るんだという意気込みで小説を書いていた。結局あれから何年か経っても、新人賞は取れていない訳だが。あの頃も僕は周りが友達とか恋人と楽しそうに笑っている中、僕はたった一人だった。子供の時から独り。大人になっても独りか。僕はどこへ行こうとしているんだろうな。

 朝目を覚ますと、既に昼近かった。ともかくも夜に眠れたのは良かった。顔を洗って、朝食を摂ろうと思ったが、冷蔵庫には何も入っていないことに気づいた。まあいい。昨日に引き続き今日も外出することにした。

 外は暖かかった。既に上着は要らないくらいだ。まあ、夏が来たら中々外には出れなくなるから、精々今の内に散歩を楽しんでおくことにしよう。それから軽く20分程歩いて鴨川に到達すると、それからひたすら南下していった。時々リュックからミネラルウォータを取り出して、水分補給しながら、並び咲い
ている桜の美しさに目を細めていた。鴨川を満喫するのもいいが、街中も悪くない。そしてそのまま三条まで歩いて、丸善まで歩いた。
丸善書店へ入って、本を片っ端から読んだ。久しぶりの本屋は楽しい。気がつくと何時間も本を読んでいたみたいで、既に夕方に差し掛かっていた。

帰り道、来た道をそのまま遡って歩いていた。
結構な距離だ。これだけ歩いたら、今日はぐっすり眠れるかもしれない。そうなるといいなと思いながら、河原を歩く。無心になってただ歩く。鬱々とした日々が何だか馬鹿馬鹿しく思えてきた。こうやって少し踏み出したら、気が晴れる手段があるというのに。僕はどうしてあんなに毎日ゴロゴロとばかりしていたのだろう。大学を去らないといけなかったのは残念だが、今日みたいに本を読むことは出来る訳だしな。大学だけが勉学の全てではあるまい。そう思った。
少し疲れたので、ベンチに座って鴨が泳いでいる川をぼんやりと眺めていた。夕方だから少し肌寒かった。さすがに花見をしている人もそろそろ見えなくなりはじめている。僕は今日読んだ本の内容を回想していた。あの世の仕組みとかいう本だった。人は死ぬと肉体がなくなって、色んな欲望がなくなるらしい。綺麗になりたいとか美味しいものを食べたいとか。また、死ぬと映像で自分の人生を振り返るらしい。殺人を犯した人は殺された人の痛みとか苦しみとかを見続けるらしい。自殺した人は何度も何度もその死んだときの苦しみを行ったり来たりするのだとか。それとは逆に、善行を積むと来世とか死後でいいところへ行けるらしい。善行ってなんだろうな。ボランティアとかすればいいのかな。僕も殺人は犯していないけど、色々悪行はやってしまった気がする。死んだらどうなるんだろうな、僕は。本に夢中になるのも善行なんだろうか。誰かのために僕は何が出来るだろうか。
そんなことを考えると、ふと向かいの方から心地よいギターの音色が響いてきた。川の向かい側を見ると僕と同じくらいの年齢の女の子がギターを巧みに弾いていた。何の曲からは分からないが、落ち着く音色だ。鴨川にはたまにこういう人がいる。楽器を弾いて歌っている。丁度良いから、ここで聴かせてもらおうと、腰を落ち着けて、彼女の演奏を聴いていた。自分は文学も好きだけど、音楽も好きだった。なかなか生の演奏を聴くことは出来ないが、今日は良い日だと素直に思えた。時折風が体を撫でてゆく。既に聴き始めてから一時間くらい経っている。熱心なものだな。
 夕方くらいになって、少し肌寒さを感じたので、名残惜しいながらもそろそろ帰ることにした。僕もギターを買って、鴨川で演奏溶かしてみたいものだ。