静悟の文学的空間

小説、読書感想、宮座賢治などについてのブログ

インディゴチャイルド8 山頂での出会い

           植物園

セコイア並木をくぐりぬけた所にある高知の植物園に僕はやってきていた。鮮やかな花々達に癒やされ、樹木達が発する静かな空気に落ち着き、疲れた心と身体を休めることができた。今日のところはここでゆっくりと休んで宿へ帰るとしよう。

四国にはお遍路という空海さんが修行で辿った寺院巡りのコースがあるらしい。僕もお遍路歩きをしてみるべきか、それとも他のめぼしい観光スポットを巡るべきか、植物園の木陰のベンチに座りながら考えていた。

何が僕の心を癒やすのか、どんな事が起きたら僕は生きててよかったと思えるのか。その事で今までもずっと思い悩んでいたのだが、この問いに関する答えは今はまだ出なかった。

とりあえずせっかく旅に出てここまで来たということもある。美しい景色でも見ようかなと思った。その日寺へ帰る道中でこの辺りの絶景スポットのガイドブックを買って帰った。早目の晩ごはんをすませてその本を読んでいると、近くに比較的簡単に登れそうな山があるらしい。明日はそこで頂上からこの街を見下ろしてみよう。まずはそこからかな。

翌朝早く起きた僕は日課である早朝の散歩を済ませて寺の朝食をいただいた。朝のお風呂でゆっくりと体を温めて部屋に帰るとすぐに山登りの支度にとりかかった。本格的な登山ではないから用意と言っても、精々飲み物と食べ物と着替えくらいだったけれど。

登山

山登りは子供の頃以来だ。僕は登山コースの入り口からリュックを背負って登っていった。自然に触れる機会の多かった子供時代だったが、歳を取るごとにその機会は減っていった。だからこうして自然の中に帰ろうとすることには大いに意味があるのだと思う。山の中は静かで小鳥の鳴き声がよく聴こえてくる。陽の光は樹木によって遮られているがこの季節の程よい涼しさが心地よかった。何より僕の目を引いたのは川だった。登山コースに沿って小川が流れている。山の中の水だからとても綺麗で光をキラキラと反射しているのがとても興味深くて川ばかり見ながら歩いていた。

この川には何が住んでいるのだろう。土の中にはヤゴやタニシなどがいるんだろうけれど、見た所魚の姿は見えなかった。子供の時川で魚を手で掴んだりして自然の中で自由自在に遊び回っていた頃の事を思い出す。何となく近くの樹の葉の裏にカマキリを見つけた。この虫も子供の頃よく捕まえて遊んだ。いいな、こういうの。山登りは今後も是非続けていきたいと思った。

予定通り坂道を登る事30分くらい。多少息が切れてきた頃、頂上に辿り着くことが出来た。山としてはどこにでもある大した事のない部類の山なのだろうけど、それでも頂上から見下ろす風景は息を飲むくらい素晴らしいと感じた。IPHONEを取り出してパシャっと一枚写真を摂ると、疲れた体を座って休ませながらただ眼下の風景を見る事を楽しんでいた。僕以外にも登山者はチラホラと見受けられる。平日でも割と若い人達もいて、皆お茶を飲んでいたり、弁当を食べている人もいたりして、思い思いに過ごしている。僕も魔法瓶をリュックから取り出して少しずつ白湯を飲んだ。いい風が吹いて少し汗ばんだ体に心地いい。頂上からの景色を15分程ただ眺めて楽しんだろうか、そろそろ見飽きてきた。なので文庫本を取り出して読むことにした。今泊まっている宿の辺りは温泉街として知られているらしく、夏目漱石坊っちゃんのモデルになった場所らしい。漱石の事はそれほど好きという訳ではなかったけれど、文人ゆかりの温泉というのは悪く無いと思ってここにしたのだった。

周囲の登山者達は大体ソロで来ているらしく、あまり話し声がしない。ペラペラと自分が捲るページの音だけが聴こえた。高い場所は空気が冷えていて読書がしにくい。これ以上読むのはやめておこう。

頂上には景色を楽しめる以外特に何もないガランとした広場だったけれど、たった一つお地蔵さんの石碑があった。だからだろう、何となく瞑想をしてみようという気になった。

地面にあぐらで座って、ゆっくりと深い呼吸を繰り返す。静かだった。徐々に他の人達は下山してゆき、やがて僕だけになったようだった。

ただ自らの呼吸だけを感じる。寒い時期だから頂上は過ごしづらい気温だったけれど、今の僕には問題ではなかった。ただ深呼吸にだけ意識を集中した。3分経ち、やがて5分が経過した。

そろそろやめようかなと言う所で不思議な声が聞こえた。

「ねぇ、和人。私の声聞こえている?」と。

頭の中から響く声だった。