静悟の文学的空間

小説、読書感想、宮座賢治などについてのブログ

桜舞い散る今日この頃

ひらりと桜の花びらが窓から舞い込んできた。どこから来たのだろうと不思議に思った。近所には桜が咲いているところなんてないのに。寝転がっていた床からむくりと起き上がり、水を飲んだ。今日は何日だっけな?そうだ、今日から四月だった。寝てばかりいたので、時間感覚が狂っているが、暖かい春の陽に誘われて鴨川に散歩にでも行こうかという気分になった。いつまでも落ち込んでいても仕方ない。
いつもの自販機でカルピスを買って歩きながら飲む。やはりゴロゴロとばかりしていたので、体がなまっているのを感じた。まあいい、今日から普段通りの生活に戻ろう。
 
 ようやく到着した鴨川は人でいっぱいだった。お花見をしている人達も多数見受けられる。春はいい季節だなと素直に思う。手頃なベンチを見つけて、座っては、ポケットに突っ込んだままになっている小説を開いた。いつも思うのだが、家で読むのと鴨川で読むのとでは集中力が違う気がする。家ではそんなに集中して読めない。これも自然の恵みの一つなのかもしれないなと思った。それから周囲の雑音も気にならないままに一時間程読んでいた。太宰の人間失格を何度目になるか分からないまま、他に読む気にもならず今日も読んでいた。自分も大概変人で、生きづらさを抱えていると思うのだが、太宰は大変なものだなと思う。自分はそこまでじゃないと思って何だか安心するところがあった。
 4月はどんな月になるんだろうな、とぼんやりと考えた。どこか遠くへ行って、旅でもしたいなと思った。日本の美しい名所を片っ端から見て周りたい。昨日まで生きているのも嫌になって、部屋で転がってばかりいたのに、やはりまだまだこの世に未練があるようだ。せめて近場くらいゆっくり見て回るかと、鴨川を下って歩いて行った。桜が綺麗だ。子供達もはしゃいでいる。時々ギターを弾いている人がいた。何となく皆が幸せになるといいなと思った。

 結局あれから、丸太町辺りまで歩いて、そこからバスで帰ってきた。帰ってきてすぐにシャワーを浴びた。鏡を見ると、何だか痩せたようだった。無理もない。この一ヶ月程、一日一食くらいしか食べなかったからな。

 昼ご飯を食べる気にもならず、再びごろりとソファに寝転がって、村上春樹の小説を読み始めた。春樹の作品は読みやすくて、不思議な世界が好きだった。平易な文章だから脳も疲れなくて、休憩なしでも読める。そのまま夕方頃に最後まで読み終えて、パタリと本を閉じた。なんだか最近起きている間が苦痛だ。寝転がったまま目を閉じた。起きたくない。ずっと眠っていられたらいいと思う。だけど、やはり時間が来ないと眠る事は出来なかった。やれやれ。何でこんな苦しいのかな。生きることは苦であるというけど、僕の場合どうすれば救われるんだろうな。
 久しぶりに小説でも書こうかなと思う。創作によって自らを癒やす。それが僕には必要なのかもしれない。

 それから深夜にかけて、僕はパソコンに向かってパチパチと小説を書いていた。時にはドストエフスキーを時には賢治を意識して書いた。自分がどのくらいの技巧にあるのか、自分ではよく分からなかった。今度誰か知り合いにでも見てもらうかな。そのまま時々ミネラルウォーターを口にしながら、ひたすら小説を書いていった。

 時刻は既に夜の2時だった。一応短編小説が完成した。小さい頃に罪を犯してしまった人間が自然と戯れたり、社会奉仕することによって自らの魂を救済する話。読書の影響だなと思った。なんだか以前に書いた時より上手くなっている気がした。ゴロゴロと転がってばかりだったが、本だけは着実に読破数を増やしていったから、一応それなりに文章が上達したらしい。ともかくも、一仕事終えたのだし、空腹感を満たしに行こう。

 コンビニでパンと牛乳とプロテインバーを買って、近くの公園へと向かった。予想以上にお腹が空いていたらしく、ベンチに座って食べ始めると、この程度の量では全く足りなかった。家の近くには、お気に入りのカフェもレストランもあるのだが、この時間ではどちらもやっていない。手持ち無沙汰になり、僕は何となく夜の公園の暗闇と静けさを味わっていた。

 公園の自販機でオレンジジュースを買って飲んだ。スマホを見ると既に時間は3時に到達していた。昼夜逆転はよくない。帰って葉を磨いて寝ることにしよう。

 布団に入って、天井を眺めていた。何となく高校時代の事を思い出した。あの頃は今にも増して本の虫だった。そして、いつか新人賞を取るんだという意気込みで小説を書いていた。結局あれから何年か経っても、新人賞は取れていない訳だが。あの頃も僕は周りが友達とか恋人と楽しそうに笑っている中、僕はたった一人だった。子供の時から独り。大人になっても独りか。僕はどこへ行こうとしているんだろうな。

 朝目を覚ますと、既に昼近かった。ともかくも夜に眠れたのは良かった。顔を洗って、朝食を摂ろうと思ったが、冷蔵庫には何も入っていないことに気づいた。まあいい。昨日に引き続き今日も外出することにした。

 外は暖かかった。既に上着は要らないくらいだ。まあ、夏が来たら中々外には出れなくなるから、精々今の内に散歩を楽しんでおくことにしよう。それから軽く20分程歩いて鴨川に到達すると、それからひたすら南下していった。時々リュックからミネラルウォータを取り出して、水分補給しながら、並び咲い
ている桜の美しさに目を細めていた。鴨川を満喫するのもいいが、街中も悪くない。そしてそのまま三条まで歩いて、丸善まで歩いた。
丸善書店へ入って、本を片っ端から読んだ。久しぶりの本屋は楽しい。気がつくと何時間も本を読んでいたみたいで、既に夕方に差し掛かっていた。

帰り道、来た道をそのまま遡って歩いていた。
結構な距離だ。これだけ歩いたら、今日はぐっすり眠れるかもしれない。そうなるといいなと思いながら、河原を歩く。無心になってただ歩く。鬱々とした日々が何だか馬鹿馬鹿しく思えてきた。こうやって少し踏み出したら、気が晴れる手段があるというのに。僕はどうしてあんなに毎日ゴロゴロとばかりしていたのだろう。大学を去らないといけなかったのは残念だが、今日みたいに本を読むことは出来る訳だしな。大学だけが勉学の全てではあるまい。そう思った。
少し疲れたので、ベンチに座って鴨が泳いでいる川をぼんやりと眺めていた。夕方だから少し肌寒かった。さすがに花見をしている人もそろそろ見えなくなりはじめている。僕は今日読んだ本の内容を回想していた。あの世の仕組みとかいう本だった。人は死ぬと肉体がなくなって、色んな欲望がなくなるらしい。綺麗になりたいとか美味しいものを食べたいとか。また、死ぬと映像で自分の人生を振り返るらしい。殺人を犯した人は殺された人の痛みとか苦しみとかを見続けるらしい。自殺した人は何度も何度もその死んだときの苦しみを行ったり来たりするのだとか。それとは逆に、善行を積むと来世とか死後でいいところへ行けるらしい。善行ってなんだろうな。ボランティアとかすればいいのかな。僕も殺人は犯していないけど、色々悪行はやってしまった気がする。死んだらどうなるんだろうな、僕は。本に夢中になるのも善行なんだろうか。誰かのために僕は何が出来るだろうか。
そんなことを考えると、ふと向かいの方から心地よいギターの音色が響いてきた。川の向かい側を見ると僕と同じくらいの年齢の女の子がギターを巧みに弾いていた。何の曲からは分からないが、落ち着く音色だ。鴨川にはたまにこういう人がいる。楽器を弾いて歌っている。丁度良いから、ここで聴かせてもらおうと、腰を落ち着けて、彼女の演奏を聴いていた。自分は文学も好きだけど、音楽も好きだった。なかなか生の演奏を聴くことは出来ないが、今日は良い日だと素直に思えた。時折風が体を撫でてゆく。既に聴き始めてから一時間くらい経っている。熱心なものだな。
 夕方くらいになって、少し肌寒さを感じたので、名残惜しいながらもそろそろ帰ることにした。僕もギターを買って、鴨川で演奏溶かしてみたいものだ。

ブルースター

英文法の参考書を傍らに置いて、少し休憩することにした。時計を見ると、丁度一時間くらい勉強していたことになる。国語に比べて英語はどうにも苦手だった。まだまだ長文読解で躓いてしまうことが多い。
コポコポと電気ケトルから紅茶を煎れて、誰もいないリビングで少し休憩することにした。受験勉強なんてさっさと済ませてしまって、好きな文学を読みふける時間に戻りたい。最近疲れているのか、そんなことを考えるようになった。7月だから、本番までは後半年ほどある。ちらっと時計を見ると10分程経っていた。さて、次は日本史の勉強でもしますか。

山川の教科書を片手に論述問題をやっつける。センターなら大体正解できるのだが、2次試験の問題にはまだ充分に正解できない状態だった。もっと教科書読み込まないとな。まあ、まだ半年あるから何とかなるとは思うが。それからしばらく日本史に加え、世界史とも格闘しつつ、いつものように、母が帰宅するまで勉強していた。
「ただいまあー」
母さんが帰ってきたようだ。僕は勉強を中断して階下に降りる。
「お帰り」
「悟。今日のご飯、お母さん疲れたから、どこかで食べてきてくれる?」
母さんは出版社に勤めていて、たまにこんな風に疲労困憊で帰ってくることがあった。
「分かったよ。お金頂戴」
「はい。これ」
5000円貰って、余った分は本でも買おうかなと思った。何か息抜きになりそうな、文庫本でも買ってこよう。
昼間集中して勉強していたので、夕方からはちょっとゆっくりと好きな事でもやろうと思った。ツイッターを開く。
「今日は外食です」
すぐにリプライが返ってきた。
「いいなあ。何食べるの?」
智花だ。
「奢るから一緒にパスタでも食べないか?一人で食べるのもなんだし」
「勉強教えてくれるならいいよ」
「分かった。じゃあ、駅前のサイゼリヤで待ち合わせな」

とある読書家の話

人間よりも本が好きだ。その事に僕が気がついたのは23の時だった。思い返してみれば、今までどんな人間にも共感を感じたことがなかった。それは僕が特別なんだろうと思っていた。だけど、もしかしたら僕は人の姿をした人でない何かなのかもしれない。とにかく、人に何かを期待するのはやめた。会うのもやめた。僕は完全に一人きりで世界を楽しむことにした。

それから僕は対人のストレスでうつ病となり、毎日死ぬことばかり考えて生きていたのが、嘘のように毎日外を自由自在に行き来し、読書に芸術にたまに山に登ったりもして、自由に楽しく生きられるようになった。思えば、これは一つの試練のようなものだったのではないかと思う。僕という存在が人に見切りをつけて、たった一人で生きる覚悟を決めるための。それは時間のかかることだったのだと思う。苦しい時は誰かにすがりたくなってしまうものだ。でも、そこを通り越して、どんな時でも誰にも何も期待しない。いつしか僕はそんな生き方を誇りに思うようになっていた。

 

最近は朝の5時位に起きて、山に登りに行く。バスに揺られること30分くらいで着く。朝の山頂の景色を充分に堪能してから、ゆっくりと山の雰囲気を味わいながら、下山して、疲れた体で眠りそうになりながらバスに揺られ、家に帰る。

 

帰ってから軽く何時間か読書してから、図書館に行く支度をする。今の所僕にとって一番重要なのが図書館に通うことだった。本が僕の心支えだったから、家に常に読む本がないといけないくらいだ。そして、自転車に乗って、府立図書館まで通う。最近のジム通いのせいか、体力が増して、片道30分の走行が大して負担にならなくなっているのはいい傾向だった。いつも開館と同時に入れるくらいに時間を調節して訪れるので、今日もまだ大して人が入っていない状態で席も楽に取れた。単行本を5冊程選んで、席について集中して読んでゆく。飽きたり、面白くなかったりすると、別のものに取り替えに行く。この図書館もそう蔵書がある訳でもないが、少なくとも京都では一番マシな部類だ。今の所まだ読む本はあって、それはありがたいことだ。それから、5時間程、時々目を休めたりしながら、読書に没頭していった。文章を追うことで、心が浄化されてゆくのを感じる。良書にはそういう力があると僕は信じている。今日は主に文学作品を中心に読んでいた。漱石とか川端とか。どちらも別にタイプという訳ではないのだが、一応名作だからということで。三四郎を読み終えて、一段落したことだし、次は宗教関連の本を読もうかなと思っていると、途端にお腹が空いてきた。朝食にバナナとヨーグルトだけだったから、お腹の減るペースも早くなってしまったのかもしれない。席をそのままにして一旦外に出た。ベンチに座り、さてどうしたものかと思う。本音としてはまだ閉館まで4時間程あるし、このまま読書に励んでいたいのだが、肉体の方が空腹を訴えて言うことを聞きそうにない。仕方ない。何か食料を買ってきて、このベンチで食べさせてもらうとしよう。確か近くにスターバックスがあったはずだ。

名前のよく分からない、安めのパンのようなものを注文してさっきのベンチに戻った。

鳩が群がっていた。さっきはいなかったのに、まるで僕が帰ってくるのを待っていたように。追い払いながらベンチに座って、袋を開けて、早速食事を開始した。うん、美味い。最近富みに鋭敏になっている僕の舌でも、このパン生地は美味しいと思えた。運がよかった。最近ハズレの食事ばかりだったから。それにしても、鳩が食べこぼしを狙って足元に群がってくる。僕は欠片を向こうに放って、鳩を引き離そうとするが、数匹向こうへ行っただけで、後はエサをねだってくる。鳩か。子供頃一緒によく遊んだっけ。

懐かしい気分になったので、半分程パンをちぎって、粉々にして、一気に振り撒いてやった。鳩は一斉にパンをついばみ始める。僕も残り半分を食べる。いいな、この場所。程よく自然もあって、図書館もある。読書に疲れたら、こうしてリラックスすればいいんだ。雨が振らなければ毎日でも来たい。

 

予定通り、休憩した後は席に戻って、残りの2冊を読んでいった。活字を追うごとに、脳に心地のよい快感が与えられるような、どんどん意識が研ぎ澄まされてゆくような作用を感じる。僕が読書を生きがいとしているのは、勿論知識を獲得するということもあるけれど、こうした、精神安定作用を信頼しているという面も大いにあるのだった。

 

7時になり図書館は閉まる。家で夜読む本も必要だから、借りるものを選びにゆく。今日で文学と仏教系のものは大体読んだから、借りるのは美術系のものにしよう。ダビンチとラファエロの本を何冊か借りて、図書館を出た。さて帰るとしよう。

 

帰りのバスの中で夕飯どうしようかなと思う。確か冷蔵庫には何も残っていなかったはずだ。

結局最寄りのスーパに寄って、管理栄養士監修のお弁当をいつもの如く買って、それを晩ごはんに食べた。そして、飽きずに家でも借りてきた本を読む。2時間も読んでいるとさすがに体が疲れてきて、眠気がやってくる。風呂に入って、ソファでごろごろしていた。僕は不眠症の気があるので、眠くなっても結局眠れない事が多い。疲労で本を読む気にもなれず、さりとて、布団に入る気にもなれない。だから、そのままゴロゴロと寝転がっていた。しかしそうすると、色んな事が頭を巡ってくる。思考がとまらなくなる。

誰にも期待せず、僕は一生たった一人で生きていくんだろうか?人間以外のものって何があるんだろうなあ。神様とか天使とか妖精とか見えたらいいけど、僕には見えないし。苦しい時に何を支えにして、何で回復したらいいんだろうなあ?まあ、いいか。読書で順調に回復していっている。僕はきっとだいじょうぶなんだ。何も、心配することは、ない・・・・。そこでこの日は眠ってしまった。

 

 

日記兼読書感想 2021/07/07

こんばんわ、静悟です。今日は予定通り、雨の中図書館へ行ってきました。図書館空いてました。やっぱり雨の日は皆外出したくないのでしょうか。しかし帰りのバスは滅茶苦茶混んでいて、こんなに混んでたのは初めてじゃないかってくらい混んでました。

 

今日借りてきたのは3冊。アンデルセン童話集1巻と、千夜一夜物語と、はてしない物語。最初に読んだのは、はてしない物語だったのですが、正直好みじゃなかったので、数ページで読むのは止めにしてしまいました。よって、他の2冊を家では主に読んでました。アンデルセンは最初のおやゆび姫の話が一番気に入りました。王道のストーリーですよね。不幸な境遇の女の子が色々苦労したあげく、最終的には王子様とハッピーエンドになるという。おやゆび姫の場合は王様だったでしょうか。こういう救いがある話は好きです。

 

童話が好きだなあと最近は思っているのですが、やっぱり賢治の銀河鉄道の夜より好きな童話にはめぐり逢いません。やっぱり賢治こそ至高の才能の持ち主だなあと改めて最近思っています。色んな本を読んで勉強する毎に賢治の凄さが再認識されてゆくような感じ。ところで、あとがきで知りましたがアンデルセンも結構大変な人生だったようですね。非常に貧しい家の生まれで、父は早く亡くしてしまって、15歳で演劇に興味があって故郷を離れたとか。元々は作家を志していた訳ではなかったんですね。でもお母さんはアンデルセンを誇りに思っていて、アンデルセンも母を大切に思っていたとか。その辺りは羨ましいと思いました。

 

千夜一夜物語は正直西洋の文学の方がまだ馴染めるかなあと思って、そのうち読むのやめるかもしれませんが、今日のところは、本の最初の何ページかは読みました。まだ検討中です。

 

帰ってきてからはそんな感じだったのですが、図書館では武者小路実篤の全集をひたすら読んでました。といっても、3時間程度ですが。タイトルは忘れてしまったのですが、鶴という女性に主人公が恋慕している話だったと思います。それと友情も少しだけ読みました。図書館には文学全集が必ず置いてあるから、便利ですよね。ひとまずは、それらを読んでいこうと思っています。

 

童話もいいけど、文学もそれはそれでいいものです。後、文学以外の芸術にも興味があって、今日はちょっとだけ美術の本も読んでました。モネとかルノワールとかゴッホとかをまとめた、美術の歴史みたいな本です。正直絵に関してはまだまだ何も知らないのですが、今後もっと勉強していけたらと思います。

 

今日は帰り道のバスでかなり疲労してしまったみたいです。HSPは人混みに弱いということでしょうか。それでは、今日はこの辺りにしたいと思います。おやすみなさい。

 

ライトメモリー3

誰かに感動を届ける。生きる心支えとなるような作品を創る。あのカフェでボーカルのお姉さんの話を聞いてからそういう目標ができた。だけど僕に何ができるだろうか?

偶々立ち寄った本屋で詩集のコーナーが目についた。パラパラとめくってみる。中には素敵だと思える作品もいくつかあった。成程詩なら短くて済むし、結構手軽に取り掛かれるかもしれない。そうだな、これでゆこう。

とりあえずお手本として宮沢賢治の詩集「春と修羅」を買っていたのだが、興味深い作品で読んでて楽しかったけど、あまり書く上での参考にはならなかった。高度すぎて自身の書けるものとは差がありすぎるからだ。

ともかくも一作買いて投稿サイトにUPしてみた。

「この青い空の下 親切にしてくれた人達の温もりで

僕は今こうして生きています

生きていられます

ありがとう

僕は何故ここにいる?

僕は何者なの?

今もこの問に答えはでない

それでも僕は幸せだと沢山の瞬間において感じます

大切な人たちよ 本当にありがとう

神様ありがとうございます

僕をここまで導いてくれて」

翌日見てみるとそこそこの反響具合。まだ一作目ということを考えると充分だと自分では思えた。この調子でゆこう。

それから時々ヒーリングに訪れてくれるお客さん達を癒やす日常に絵を描く事と詩を書く事が加わり、僕の精神は大いに癒やされていった。自分でも今まで体感したことのないくらいに。僕の心に何か自分でも知らない物が秘められているような感覚があった。

ところで御幸さんとは週に一度くらいの頻度で会っていた。大体いつも僕の事を心配して向こうから連絡をくれる。そんな御幸さんの心遣いが僕には嬉しかった。

「それにしても静君大分落ち着いたね。表情も柔らかくなったし」

「そう視えますか?」

「うん。静君のオーラ凄く落ち着いて視えるよ」

この日晩御飯を御馳走になりながら最近詩を書き始めた事を打ち明けた。

「へぇ、何ていうサイト?私も見てみたいな」

僕は投稿サイトの名前とペンネームを教えた。御幸さんは本当に楽しそうな顔をしていて僕も喜んでもらえることが嬉しかった。

「そっか。静君には色んな才能があるんだね。私は芸術方面とかさっぱりだからそこは素直に羨ましいな」

「それ程大した才能というわけではないだろうけど」

「じゃあこれから成長してゆくんだね。うん、楽しみだな」

そしてその日は夕飯を食べ終えて別れた。御幸さんが見てくれているということなら、尚更創作活動にやる気が出た。今日ももう一作書いてUPしてみよう。

帰ってきて自室で独り考え込んだ。僕は失った記憶を取り戻す事も大切な事だと考えている。詩を書くことがその事につながっているとしたら?いや、きっと繋がっていると思う。多くの作家は自分を癒す事が書く目的の一つなんだろうけど、僕は癒やしの先に記憶を取り戻すという結果が付いてくる気がした。だとしたら余計に書くことに専念しないと。疲れた体ではあったが、もうちょっとだけ頑張ろうと書いてみた。

「僕は今ここにいる

それは僕自身だけの力ではなく他の多くのもの

そして大いなる存在の意思が加わったおかげだ

ありがとう

僕には失ってしまったものがある

それはどこにあるんだ?

どうしたら今の僕と過去の僕が繋がり会える?

今ここにいることは大切だけど

僕は過去の思い出も大切にしたい

一番幸せだったはずの幼少の頃の記憶よ

どうか僕の中に戻ってきてほしい」

何とか一作書いて少し逡巡したものの、結局UPしておいた。御幸さんが見てくれているということもある。明日もヒーリングの仕事がある。今日は早めに眠ることにしよう。

日記 圖書館の開いていない日

こんばんわ、静悟です。

今日は圖書館が閉館だったので、あまり外出はできなくて、そのせいかあまり調子が良くない感じです。

 

朝起きて、朝食を作っていました。今日はヨーグルトに加えて卵焼きを作って食べました。Youtubeで寝ている間に補給できなかったタンパク質を朝摂る事が大切だと観たので。本当は朝はあっさりしたもので済ませたいのですがね。

 

それから、スーパーに1日の食料を買い物に行ったのですが、片道10分くらいなのに、凄く疲れました。体力の衰えを最近感じています。蒸し暑かったせいもあるかもしれませんが。

 

後は部屋で読書してました。時々noteやこのブログをチェックしたり更新したりしていましたが、基本的には読みっぱなしでした。今日読んだのは昨日の続き、エンデのモモと死後に関する62のこと、という本です。後今日届いた、藤木美奈子さんの「親の支配脱出マニュアル」という本。

 

まずモモは早い段階で読み終えてしまいました。昨日粗方読めていたので、残り僅かだったので。この時間貯蓄銀行という悪者については正直今ひとつピンと来なかった気がするのですが、これは現代を風刺しているのでしょうか?あくせく働いてばかりいる現代人を。あるいは、銀行とか数字しか面白がらない大人を風刺しているのかもしれませんね。僕にはそれぐらいしか読み取れなかったですが。しかし、時間泥棒達との戦いが終わって、皆がゆったりとした時間を過ごして、街が平和で楽しそうになった後の所はすごくいいなと思いました。モモについては昨日も書いたので、このくらいにしておきます。

 

霊の本に関しては海外のものなのもあって、正直ついていけなくなってきたので、割愛します。

 

藤木さんの本。やっぱり育ちの傷を抱えた人って自分以外にもたくさんいるんだなと思わされます。興味深かったのは薬に関するくだり。薬は脳の神経とかに作用する非常に危険なものと書かれていました。薬の合う合わないは自分にしか分からないとも。実際そのとおりだと思いました。薬は出来るだけ少量で、短期間の服用にすべきだとも書かれていました。僕は長い間眠剤とか飲んで寝ているので、この辺りで薬に頼らない入眠方法を取り入れてみるべきかなと思いました。

 

今日はとりあえずこんな感じでした。ちょくちょくと短編の物語とかを書いてみたりしているのですが、アップするまでは行っていないのですが、少しずつ書いています。このブログかnoteの方で詩とか小説とかアップしていきたいと思います。

 

明日は圖書館が開くので、予約してある書籍を受け取りに行きたいと思ってます。それでは、おやすみなさい。

 

 

ライトメモリー2

 

僕の日常

僕の毎日は仕事としての他者へのヒーリング、後、自らの体へのセルフヒーリングと、それから記憶を取り戻すことに没頭する事、この3点を中心に今のところ回っていた。この生活にそれなりに満足している。今日もヒーリングを全て済ませた後夕方の散歩に近くの自然公園まで気分転換にやってきた。

(やはり公園はいい。のんびりとした気分になれるもの)

しかもこの自然公園は植物園のように森みたいになっていて、木陰が涼しく雰囲気も素敵でここにいるとそれだけでとても落ち着くのだった。僕にとってここは今一番大切な場所の一つでこの公園でその日の疲れを全て癒やして家に帰って深呼吸を繰り返しながら記憶を取り戻すというのが最近の一日の過ごし方だった。とりあえず今はこの公園ののどかで静かに流れてゆく時間が心地良いからこの空気を存分に堪能していようと思った。今何時なのかを特に気にする必要もない。ただ日が完全に暮れてしまったら家に戻ろうと少々眠気を感じながらもぼんやりベンチに座っていた。

楽しかったはずの幼少期の事を思い出すということ、それももうそんなに難しいことではなはずだと僕の心は告げている。

(そうだよね。15歳とかそれくらいの頃の事は既に思い出しているものね。)

この15歳という時期が何か重要なヒントのような気がした。僕はその頃学生で毎日学校に通っていて、だけどその事が負担で少々体に不具合が出てしまうことも時が往々にしてあった。あまり思い出したくはない記憶だけどあの時の大切な記憶も同時に思い出せる。そうだ、僕は絵が好きだったんだ、あの頃、僕は毎日家に帰って夢中になって家に籠もって絵を描いていた。あの頃は良かったなあ、ただ無心になって絵を描くという好きな作業に没頭出来ていた。今の僕はどうだろう?あの頃の僕は今の自分を見たらどう思うのかな?と少し沈んだ心地になりながら内省していたらふと雨がポツリポツリと降ってきて慌てて帰路についた。ちょっと待ってよ、あの頃の僕は雨なんてへっちゃらだったはずだよ?とふとそんな考えが頭をよぎった。本当に今の自分はあの頃とかけ離れすぎていて、それは望んでた未来ではなかったかもしれないと少々ダウナーな気分になっていた。これから僕はどうしたいんだろう?それさえ今の僕には分からなくなりつつある。家に帰ってとりあえず再び絵を描いてみようと決心した。

 

家の自室で絵筆を握った。あの頃は確かと絵を描きながら昔の感覚を取り戻してゆく。その作業が妙に楽しかった。どんどん感覚が脳が蘇ってゆく。あの頃の僕を取り戻せ!と心が感じるままに描いていったのだった。そうこうしている内にどうやら眠ってしまったらしい。気がつくと机につっぷしていたけれど何とか絵だけは汚さない体勢だった。久々で疲れたんだろうと自身を納得させつつ温かいシャワーを浴びて体を清潔にして朝食の準備をした。

今日も2件のヒーリングの予定が入っているだけどそれ以外では時間が取れる。もう少し描きすすめるべきかと独りごち、朝食を終え、さてと食後の散歩にでも繰り出すとしようか。

その日のヒーリングを終えて再び内省の時間を取っていた。もう昔の記憶を取り戻す事はとりあえず一旦置いておこう。これからの未来の事を考えてみようじゃないかと自分を励ます。その方が楽しいように思えてきた。

今日はあまり瞑想が捗る日ではないらしい。何だろう、うまく行かないな、仕方がないこんな時に僕に取れる選択肢はやはり散歩くらいだ。ついでに今日のところはどこかで夕飯を食べてこよう。玄関から出て通りを歩いていても夕飯時だからだろう、どこの家々からも美味しそうな匂いが漂ってきて、空腹を感じた。どこか近くに美味しい店はなかっただろうか?スマホで調べてみると小さな通りにチラホラと面白そうなショップを幾つか発見した。今日何が食べたいかと自問すると、すぐにパスタと浮かんだので、今日はこのイタリアンカフェにしてみようかとそちらに足を向けた。

新しく見つけたこのカフェは当たりだったようで、料理はどれも美味だった。生パスタはモチモチとしていて食感が楽しく、サラダの野菜は新鮮で多少冷えていて心地良かった。食後のオレンジジュースを飲みながら、若干暗い店内の様子を見回していると、どうも今晩は偶然にも、店内でライブが開催される日らしい。僕は若干興味を惹かれ、ゴタゴタと機材が店内に運び込まれライブの準備が整えられてゆくのを、既に空になりかけたジュースを最後の一滴まで啜理ながら、ぼんやりと眺めていたのだった。

ライブ

音楽にはそれ程詳しくないけど、多分今演奏されているのはジャズとかクラシックとかそういうジャンルの音楽なんだろうな、と思いつつゆったりとしたカフェの椅子に座りのんびりと傾聴していた。主に楽器を演奏しているのが男性達で紅一点の妙齢の女性が良くわからない歌詞の曲を熱唱していた。不思議な声の持ち主だった。声自体は低めで多分アルトと呼ばれる声域だろうと思うが、高い声を好む僕としても妙に心に迫るものを感じた。身体の芯を揺さぶるような声の持ち主が心を揺さぶるように歌ってくる事により、初めはぼんやりと聴いていた僕も次第に曲を聴く事に熱中していた。自分がカフェにいることさえ忘れるくらいに没頭していたのだった。5曲程歌い終えて、しばらく歓談の時間に入るらしい。簡単なメンバーの自己紹介が始まった。

「皆さんこんにちわ。バンド、エリクサーのボーカルの柊です。宜しくお願いします。私達このお店には時々来させてもらっています。良いお店ですよね、美味しいパスタが手頃な値段で食べれて、私もこの間ペペロンチーノを頂きましたが、とっても美味しくてついつい食べすぎてしまいました。ところで皆さん音楽は好きですか?私は小さい頃から歌が好きで、歌手になりたくて音大に今通っているのですが、なかなか私達もCDを出したりして頑張っているのですが、中々大した売上にはならなくて、難しいですね。皆さんもお店で私達のCDが置かれているのを見たら、是非購入してあげて下さい。」

軽い笑いが起きた。MCというやつだろう、バンドのボーカルはこんな風にして歌うだけではなく観客とのコミュニケーションを取る事もしなきゃだけら、大変だなと無口な僕は余計なお世話な事を考えていた。

「それでですね、私達もまだまだ実力不足でもっと自分達の能力を向上させないと、ということでこの間東京まで武者修行の旅に出てきたんです。それは路上バンドで得られる収入で出来るだけやりくりしようという物で、実際それだけでは全然足りなくて、本当にまだまだだなと痛感したのですが、その途中である女の子と出会ったんですよ。その女の子というのが、気の毒なのですが、病気で病院に入院していたんですけど、お母さんが私達のライブを聴きに来てくれていて、娘もきっとこういうの好きそうだからということで娘さんに私達のCDを紹介してくれたんです。それで実際に曲を聴いてくれたその子は凄く好きになったと言って、是非私達と会ってみたいと思ってくれたようなんです。私達の方としても、プロみたいに忙しい訳じゃありませんし、ファンの人達との交流も大切だと考えているので、一同揃ってという訳にもいきませんから、私だけその子のお見舞いがてら、病院の方に赴いて、お話をしてみたんです。その子はある重い病気を患っていて、自分の死期を何となく察していたんですね。私に聞いてきたんです。

「ねぇ、お姉さんは自分は何のために生まれてきたんだと思う?」

私はしばらく考えてこう答えました。

「やっぱり歌うためかな?歌っている時に一番自分は、ああ、生きてるんだな、って感じるから」って。

そしてちょっと落ち込んだような風にその女の子は、

「いいなぁ、私にもそう思えるものがあったらよかったのに」と言ってそれからこう言いました。

「私、何の為に生まれてきたんだろうって思う。学校にも馴染めなくて結局病気で死んでしまいそうになってるし、多分もうじき本当に死んじゃうと思う。お医者さんは其内良くなるって言ってるけど、多分嘘だと思うんだ。ほら、子供だから告知も本当ではないことを言うこともあるっていうじゃない?だけど、不思議だね、お姉さんの曲を聴いていると、私もちょっとは生きていることを実感出来るような気がする、きっとお姉さんにはそういう能力があるんだよ。歌を通して自分のエネルギーを伝える、みたいな能力がさ。だからこれからも頑張ってよ。私も影ながらというか、あの世からでも応援してるからさ。例え、売れなくても音楽をやめないでね、私との最後の約束だよ」って。

不覚にも涙してしまいましたよ、その子が苦しそうにゼイゼイと喘ぎながら

その長い台詞を言い終えた時には。私その旅の企画にはそんなに賛成じゃなくて、ウチの男性衆に引っ張られるようにして連れて行かれて、旅に疲れて、ちょっと自分に自信を失いつつあった時だったので、余計にですね、その言葉が心に響いて、こんなに小さな子がこんなにしっかりとした考えを持っていて、私なんかよりこの子の方がよっぽど才能あるのに、何でこの子に神様はもっと寿命をくれなかったのかとか、そんな事をつい考えてしまったのですが、とにかくそんなこんなで私に本当にそんな能力があるかどうかはさておいて、私これからも、恐らく一生歌い続けます。あの子との約束のためにも、皆さんに生きてゆこうっていう勇気を与えるためにもです!」

拍手が起きた。長い話しだったけど、僕も感動して無意識の内に拍手していた。それからも5曲程ジャズのような陽気な曲を演奏して、ライブは終了した。彼女の歌声に痺れながらも僕の頭の中では先程の話しがずっとリフレインしていた。

(生きていて良かったと思えるようなこと)

(生きてゆこうっていう勇気を皆さんに届ける)

僕もそんな事をキーワードに生きてみたらいいんじゃないだろうか。今晩は思いがけずいい出会いが出来て、此の事は僕にとって重要な事だから、今晩一晩かけてゆっくり考えてみようと、ついそのカフェで眠気覚ましのコーヒを買って僕は夜の眠気に抗うことに決めたのだった。