静悟の文学的空間

小説、読書感想、宮座賢治などについてのブログ

インディゴチャイルド3 不思議な夜

魚を捌く、そしてこれからのこと

小さな魚だったので簡単なさばき方、内臓を取り出してフライパンで両面を焼くだけの本当にごく簡単な調理だったけど、ただ塩で味付けするだけでも不思議なほど満足感を得れたのだった。やはり自給自足という生き方が僕には合っているのかもしれない。

「これからはこんな感じで行こう」

と自分で自分に言い聞かせた。出来るだけスーパーで買い物するのではなく八百屋さんで買う方が性に合っているのかなと思う。一番良いのは家庭菜園という方法だろう。それほど難しくはないし、手作りの楽しさを味わえると聞いている。簡単なものからこの素敵な庭で育てやすいお野菜から育てて自ら収穫して食べてみようか。今日は何となくそんな風に思うのだった。

食べ物に関してはとりあえずこれでいい。それよりも大切なことがある。それは、そろそろ何か仕事を探そう、ということだった。何か今の僕に出来ること、僕が一番やってみたいと思うこと、僕に合っている天職のようなものが何かあるはずだ。とりあえず食後の歯磨きを終えていつものように散歩に出かけることにした。

今日もよく晴れていた。時々心地良い風が体を撫でるように通り過ぎてゆく。歩いていると店の売り子を募集しているような張り紙はたまに見かけるが、僕にはそのようなものは合っていないだろうからそんな張り紙は無視した。結局僕に合った仕事って何なんだろう?悩みながらも緑の街路樹と時折吹いてくる爽やかな風に心地よさを感じながら、いつものように自分を励ましながら歩いていると、交差点で女の子がチラシを配っているのが見えた。僕はいつもだったらこの手の物は受け取らずにスルーするのだけれど、今日はその女の子の優しそうな僕を心配しているかのような表情に誘われたのか、渡されるままに紙を受け取ってみた。

「ありがとうございます」

ポツリと女の子の発する小声のお礼が妙に心地よかった。チラシにはポスティング募集と書かれていた。興味を惹かれて読んでみるとチラシ配りの配達員を募集しているようだ。少し考えてみたがこれなら自分にも出来るかもしれない。僕にだって出来ることがこの世の中にあるのではないだろうかという気に、例え気のせいでも、この一瞬だけでもそんな気になれた事が、ただ嬉しかった。ただ家の近辺を練り歩くことは普段やっていることだ。それならその片手間にでもチラシ配りくらいできるのでは?と考えた。もう一度よく読んでみると、一度説明会というのに参加する必要があるらしかった。僕はスマホのカレンダーに日時を記入して予定を組んだ。まあ一度働いてみるのも悪くはあるまい。どうしても嫌になったらその時は辞めてしまえばいいだけの話だ。それで今日はその仕事のことを考えるのはとりあえずやめにして予定を続きを楽しむのだった。

そして翌日、結局のところ僕はポスティングの説明会に参加することにしたのだった。20人くらいがパイプ椅子に座って目の前で説明する男の話を聞いていた。仕事自体は何も難しいことはなくただチラシを受け取りたくない家庭には無理に投函したりせず、配るのを放棄したりしないことに気をつければいいだけだ。結構身構えていた僕としてはいささか拍子抜けした。そしてとりあえず一度この仕事をやってみることにした。とにかく何事もやってみないことには何も始まらない。

一週間後に予定通りその週に配る分のチラシが家に届いた。僕はそれを普段どおり散歩をしながらその合間に配ることにした。他の人はバイクなり自転車なりを使うのだろうけど、徒歩で配るのが僕には合っているだろう。

そして、実際に早朝に起きて散歩がてら各家のポストに紙を配り出してから何日かが過ぎた。大体想像したとおり対して難しくも疲れることもなかった。ただ時々マンションの階段を登ったりするのが大変なくらいで、後は普段通り歩くという行為を楽しみながら気ままに通り過ぎる家々に紙を投入してくだけだ。報酬は微々たるものだったけど別に構わなかった。要は何か仕事をこなしたという実感が持てた、その事が一番重要な事だった。

晩餐会

その日も僕はその日の配達分を全て終えて、軽くなった両腕で家に帰ってきた。そして郵便受けを見てみると不思議な手紙が入っていたのだった。

何だろうと思ってみてみると、何やら以前に加入していた事のあるスピリチュアル協会からの手紙らしく、読んでみると、ただ

「どうぞ、晩餐会にお越しください」

とだけ書かれている。青色の宮沢賢治のイラストが入っていて、その素敵なデザインがすごく気に入った僕はその事に機嫌を良くしながらその紙をテーブルの真ん中にそっと置いた。3日後に開催されるこの会に参加するのに特に費用などは必要なくてただこの招待状があればいいだけらしい。この晩餐会自体はとても興味深く是非参加させてもらおうと僕は思ったのだった。

当日僕はウキウキとした気分でタクシーに乗り、会場へと向かった。何か美味しいものでも食べられるといいなと思いながら、いざ会場前に到着してみると外の庭に広がった立食パーティが催されていた。

(凄い、美味しそうな料理が一杯だ)

僕は不慣れな作業に戸惑いながらもトングで色んな料理を少しずつよそって、広場のベンチ座りポツリと独りで食事をしていた。他に知り合いはいなかったし、料理自体はすごく美味しくてやはり来てよかったと思ったけど、他の人達が談笑しているのを羨ましく思いながら僕なりにパーティの雰囲気を楽しんでいた。そうこうしていると、向こう側から独りの老紳士がトコトコ歩いてきて僕に話しかけてきた。

「こんばんわ。お独りですか?」

「ええ、まあ」

何となくきまり悪くて僕は少々居心地の悪さを覚えながらただそう答えた。

「そうですか。ところで今夜はいい月が見えますね」と老紳士は独り言のように呟いた。

見上げてみると確かに美しい形の三日月がこの中庭から綺麗に見えるのだった。

「うん。本当に月というのはいいものです。何だか体が浄化されてゆくように感じますね」

と本当に穏やか表情で老紳士は言った。突然話かけられた事に戸惑ったものの、言われた通り月を見てみると、確かに体の内側から腸内環境が整っていって体内が浄化されてゆくような感覚がして、老紳士に目を戻すと、彼の姿は透明になって向こう側が透けて見えるような気がした。それくらい身も心も浄化されたような錯覚に陥った。

そして、その老人はどこかへ行ってしまい僕は再び独りになった。今度は自分から誰かに話しかけてみようかという気になって、会場内をゆっくりと回ってみると一人の少女が飛んでいるアゲハ蝶を夢中になって眺めている場面に出くわした。

アゲハ蝶の白黒の羽根が好きだった小さい頃の記憶を思い出して、その光景に微笑ましい気持ちなりながら少女の姿を眺めていたのだけれど、やがて女の子は呼びに来た母親に手を引かれて去って行き、後には僕とアゲハ蝶だけが残された。こんな所で童心に戻れた事に嬉しかった。あんな風な時代が僕にも有ったはずなのに、今の僕はすっかり昔の自分を失ってしまっている。辛いことばかりだった故郷から遠く離れたこの魅力的な街までやってきて、色々面白おかしく過ごして来たけれど、僕は何のために生まれて、どこへ行こうとしているのだろう?

手で蝶を掴もうとして、やっぱり蝶が可愛そうだと思ってやめた。もう無邪気で虫の都合なんて何も考えない子供ではないんだと心の中で自分に言い聞かせながら。 

不思議な女性の助言

やがて誰か話しかけやすそうな人はいないかと会場内をウロウロしている内に僕はある女性と出会った。すごく美人というわけではないが、母性を感じさせるその女性に惹かれ、僕はその人のいる方へ行きたくなった。そして、足の向くまま素直にその女性に自分から話しかけてみた。

「あの僕はこの会へ来るのは初めてなのですが、あなたはよく来られるのでしょうか?」

すると女性は、ただ穏やかな声で

「いえ、今日が初めてですよ」

と答えた。本当におっとりとした様子で僕はこの女性をまるで母親のように感じて隣に座ってどんな悩みでも打ち明けてしまいたいという欲求にかられた。そして実際に隣に座って現在悩んでいる仕事について相談してみることにした。

「あの僕は少し前にこの土地にやってきたんです。それで何か仕事でもしようかと思って、ビラ配りの仕事を始めてみたんです。でもその収入は微々たるものなんですが。僕はこの先どうしたらよいのかわからなくて、それで悩んでいるのですが」と。

「うんうん。そっかそうなんだね」

その女性の声はとても優しくて僕はもっと慰めてもらいたくなった。何故か初めて話す気がしない。僕は自分からああしよう、こうしようと考えを口にするのではなくこの女の人に何かアドバイスしてもらいたくて少しの間何も口にせず黙って何か言ってもらえるのを待っていた。

「そうだね。だけどさ、君、毎日楽しいことだよ。例えお金がなくてもさ、楽しいって思える事が重要なんだよ。そうじゃない?」

気軽な風に言ってのけられて少々面くらいながらも、考えてみるとそのとおりだと感じたので、

「ええ、僕もそう思います」

と答えた。

「でも、そうね。確かにお金がないとそれはそれで困るよね。だったらさ、ちょっとまってね」

彼女は目を閉じて瞑想のように、深呼吸を何度か繰り返していた。やがて眼を開けてニッコリと穏やかに微笑んだ彼女はこういった。

「うん。旅が良いよ、君。それが合ってる。これからも旅を続けることだよ」

そしてその不思議な女性は僕の前から立ち去っていった。少々拍子抜けしてしまった。僕としては彼女が何かいい仕事でも紹介してくれるのではないかと、淡い期待をしていたのだが、当てが外れてしまった。でも、まあいいか。確かに彼女の言う通りだ。この土地はいい所だ。でもやっぱり僕には旅が性に合っているし何よりいまそれが必要な事だろう。ゆっくりと歩きつづけてゆこう。

だけどあの人に会うまでは確かにここに居を構えて落ち着くつもりでいたのに、僕の心は定まらないまま、旅とここで落ち着く事の2つの選択肢の間を行ったり来たりしているのだった。しかしながら、しばらくベンチに座っている間も、今女性に言われた言葉が脳内でリフレインされる。あの女性の能力は信頼に値するものだとい言う直感があった。

(だけど、それは今すぐじゃなくてもいいだろう?)

僕としてはもう少しだけでもここでゆっくりしていたかった。せっかく白井さんと出会えたということもある。

(うん、もう少し今の住居を整えよう。具体的には庭の手入れとか、後、・・・あの黒猫だな)

庭にやって来た不思議な黒猫との関係は僕にとって意味深いもので、彼ともう一度会って、あの夢の中での出来事が何だったのか知りたいと強く思ったのだった。