スピリチュアリティワールルド1 始まりの朝
それはそろそろ夜が明けようとしている頃の事だった。誰もいないはずのマンションの部屋で誰かの声が頭の中に響いた。
(痛い、苦しい。誰か助けて!)
「何だ?誰だ?何処から聞こえてくる?」
辺りを見回してみるが、部屋の中はいつもと変わらない殺風景なワンルームのままだ。という事は外からか?
ガラッと窓を開けて僕を呼んでいる誰かを探してみたが、やはりまだ夜が明けたばかりの此の時間帯には人っ子一人見当たらなかった。
「幻聴かな・・・」
それにしては妙にリアルな声だった気がしたけれど、気にしないことにして再び読書に戻ろうとした。しかし、1分もしない内に再び呼び覚まされた。
(無視しないで。いい?今から言う場所に行ってあの子を助けてあげて)
何だ?やっぱり聞こえる。しかも助けてって誰をだ?
(行けばわかる。今はとりあえず、私の声に従って。)
何が何だか、此の不思議な声が何なのか、僕はいよいよ錯乱してしまったのだろうか。だけどこの声とは別に誰かが助けを呼ぶ声が確かに聞こえてくる。
(疲れた。水が飲みたい。お腹が空いた。ねぇ、誰か・・・)
「弱っているみたいだ・・・」
出かける準備をしつつ、ポツリとそう呟いた僕に声は即座に反応してきた。
(そうね。とっても弱っている。早く行ってあげてね)
(あなたは誰だ?)
心の中で自問するように聞いてみた。自分の内側から発せられているような気がしたからだ。しかしその質問に対する答えは、予想通り返っては来なかった。ただこの助けを呼んでいる者が確実に衰弱していっている事が不思議な声の主を通して感覚で伝わってくるのだった。
(これくらいあったら大丈夫だろう)
家にあった保存食と水と念の為着替えなどもバッグに詰めこんで、早朝の澄んだ空気の中自転車に跨って飛び出した。
(待っててね。何処の誰かもわからないけど、今行きますから)何となくこちらからも念じるようにそんなメッセージを送ってみた。するとどうだろう、確かに返答がすぐさま返ってきた。
(・・・・ありがとう)
たった一言に万感の想いが込められている気がした。久しぶりに乗る自転車は空気が十分に入っているとはいえず、ブレーキも緩んでいた。最近の運動不足と相俟って、道中かなり息切れしてしまった。だけど弱って助けを待っている此の人物のたった一言のお礼にはあらゆる感情が感じられた。言うなれば、誰かに虐げられて、誰からも見捨てられ、このまま死ぬしかないと覚悟していた時に、親切な誰かが助けに来てくれて、もう大丈夫だと安心して泣きたいけど、泣く体力も残っていない時に自然に心からこぼれた一言だったような。その人物の事を考えると、おちおち休んでもいられないのだった。
「本当にそうなのかな?」
決して妄想ではなくて割と的確な想像のような気がして、これから行く先に待ち受けている未来がそのまま現実になる気がして少しシリアスな気分になった。出来ればそんな重大事とはあまり遭遇したくはないのだけれど。
(大丈夫。今の零君にならそれ程難しいことではないわ。だけど早く行ってあげて、あの子は零君が助けに来てくれることを心待ちにしているの。それこそ囚われのお姫様が王子様の助けを待っているみたいにね)
また聞こえた。本当に誰の声なんだろう?そもそも、僕は王子様って柄じゃないだろう。それに囚われのお姫様って・・・。
ふと気がついたが此の聞こえてくる二人の声はどちらも女性の声だ。ということは今から行く場所で弱っているのも女性なんだろうか?
(そうよ。あの子は女の子。だからこそ零君が守ってあげなきゃね。お願いよ、あの子には零君しかいないの)
何で僕の名前を知っているのかとか、僕の思考まで読み取らないで欲しいとか、此の声と話したいことは山程あったが、その前に自転車を漕ぐことに集中することにした。厄介な事は先に済ませてしまいたい。
それからも僕はひたすら自転車を漕ぎ続けた。坂道を登り、平らな道を20分程漕いで、坂を下った辺りの綺麗な池のある場所までたどり着いた。
お姫様の救出
(ここで合ってる?)
(うん。あの木の側に寝てるから行ってあげて)
(わかった)
最早心の声と対話している状況に何の疑問も覚えなかった。僕は持ってきた食料などを詰めたバッグを背負い、まだ見ぬ少女の下へと足を急がせた。それにしても、冷静に考えてみると自分は結構異常な行動を取っているような気がする。
(幻聴か妄想かもしれないのに、こんな所まで来てしまった・・・。やっぱり徹夜明けでおかしくなってるだけなんじゃないだろうか?)
だけどその弱って横たわっているらしい女の子の気配だけは目的の場所に近づくに連れてどんどんリアルになってくる。
(違う。これは妄想じゃない。少なくともこの子は確実にこの先にいるな。しかも・・・)
「うん。とっても弱っているね。後ちょっと遅かったら危なかったかもしれない。零君、ここまで来てくれて本当にありがとう。彼女に代わって私からお礼を言っておくわ」
何故か此の不思議な声も目的地に近づくにつれて妙にリアルに聴こえる。そして足を急がせ、ようやっと現場に辿り着いた。池の近くの木の麓で、一人の少女が、声の言ったとおり横たわっていた。全身竜巻に巻き込まれたみたいに傷だらけで、酷く痩せこけていた。もう一週間食べてないと言われても驚かないだろう。ここまでどんな修羅場を潜り抜けてきたのだろう。荷物を置いて近くまで駆け寄ってよく見てみると、元々は整った顔立ちをしているように見える。きっときちんと整えたら可愛らしいであろうことが伺えた。
「大丈夫か?」
肩の辺りを掴んで揺さぶってみるが一瞬目を開けただけですぐにまた意識を失ってしまったようだ。
「あまり揺さぶっちゃだめよ、零君」
「分かった」
しかし、このままただ待っていても目を覚ましそうにない。
「どうしようか・・・」
此のような場合、通常なら救急車を呼ぶのだろうけど、明らかに訳ありなこの状況でそれはまずい気がした。かと言って意識がないのでは持ってきた食べ物も役に立たない。
「うーん、まいったな」
やはり救急車しかなさそうだと、スマートフォンを操作しようとすると指が動かなくなった。
(何だ?指が言うことを聞かない、これは・・・)
(うん。私がやったの。それはやめておいたほうがいいわ)
本当に僕に乗り移ったかのように肉体の操作が支配されていた。その事に一瞬恐怖したが、今はそんな事を気にしている場合ではないと思い直す。
(じゃあ、どうすればいいんだ?)
(まずね、私があの子に乗り移って意識を少しだけ取り戻させる。ごめんね、それくらいしか今の私には出来ないの。だからその隙に水を飲ませてあげて)
元通り肉体が操作できるようになった。乗り移るということが本当に出来るのは分かったけど、一瞬ではそれ程大量の水を飲ませられない。何とかならないかと頭を悩ませるも、僕に思いつく方法はたった一つしかなかった。
(じゃ、行くよ、うん、その方法で大丈夫。それじゃ1,2,3!)
自らの口内に出来るだけの水を含ませて、声のタイミングに合わせて横たわる少女に口移しで水を飲ませた。弱々しい瞳が唇同士が触れ合った瞬間大きく見開かれたが、そのまま安堵するかのような表情で確かに少女が水分を嚥下する様子が見て取れてひとまずほっとした。
それからも僕は口を使って謎の弱った少女に水を飲ませ続けた。よっぽど喉が乾いていたのだろう、もってきた大きめのペットボトルが半分程空になってしまった。水分を十分に摂ったせいか、心做し顔色がよくなった気がする。一応食べ物持ってきたが、どうしたものか。僕が頭を捻らせているとやはり頭の中の声が指示を出してきた。
「タクシーを呼びましょう。それからお家で看病してあげて。このままここにいたのでは助かるものも助からないわ」
「わかった」
何時ものようにスマホでタクシーを手配して、待っている間暇だったのでタオルで彼女の顔を拭いてあげた。汗と土で随分と汚れてしまっていたが、予想通り拭き終えると彼女は中々の美少女だった。気がつくとそろそろ人々が起き出すような時間になっていた。僕自身も眠っていない上に重労働を重ねたのですごく眠気を感じた。
「タクシーが来たら教えてあげるから、ちょっとだけ眠るといいよ」
言われたとおりベンチの上に仰向けになり仮眠を取ることにした。もう起きていられないほど眠かったのである。
(・・・それにしてもこの声は一体何なのだろう)
薄れゆく意識の中でもう何度目になるか分からない自問をまた繰り返していた。
(・・・起きて、ねえ起きてよ、零君!)
自分を呼ぶ声が聞こえて慌てて飛び起きた。起きてみると既にタクシーが到着していた。
「すみません、ちょっと疲れていて」
「いえ、大丈夫ですよ。・・・ところで酷い怪我ですな」
初老の運転手は気付かしそうに少女の方を見た。
「ええ、早い所運んでやりたくて。家までお願いできますか?」
てっきり病院を勧められると思ったが、その運転手の老人は何も言わずただ無言で頷いて、少女を座席に運ぶのを手伝ってくれたのだった。
帰宅
細心の注意を払って、少女をベッドにそっと寝かせた。まだまだ目覚める気配もないが、一応少女が起きた時のためにお粥を造ることにした。
(やっぱり零君は料理が上手ね。何よりとっても優しいわ)
グツグツと鍋で煮込んだ米の塩加減を味見していると脳内で声が聞こえる。
相変わらず若い女性の高く澄んだ声だった。
(あなたは誰だ?どうして僕の心の中にいる?)
(そろそろ教えてあげる。私はあなたを導く存在。そうね、日本語でいうと指導霊といったところかしら)
(そうか。俗に言うスピリットガイドというやつか。僕もとうとうそういう存在が聴こえるようになったのだな)
昔からスピリチュアルや不思議なものが好きで色々読んできたけど、視えたり、聴こえたり出来ず終いだった。自分には才能がないのかと落ち込んだ時もあったが、指導霊が付いてくれるなら今後の人生に張りができるというもの。もしかしたら、超能力とかも使えるようになるかもしれないな。それは冗談だけど、ともかく、今回は言いつけられた事は少々大変だったけれども、ガイドと巡り会えるなら安いものだったと思う。
「零君。あなたは今回よく頑張ったわ。だからこれからきっと良いことがある。私が保障してあげる。私の言うことなら信用できるでしょう?本に書いてあることよりも」
礼子に心の声が完全に漏れている事に不安を覚えた。指導霊には隠し事なんて出来ないのだろうか。それはちょっと困るかもしれない。最低限のプライバシーは欲しいものだ。・・・・例えば僕が以前命を投げ捨てようとしてしまったこととか。今の会話の口調からもこの声の主がその事を承知していることが分かってしまった。気づいてしまったのだった。この声の主がそのことについて多少非難めいた感情を持っていることに。それも当然と言えば当然のことかもしれないけど、指導霊のような存在に非難されるのは辛かった。あの時の僕の悩み苦しみを分かってほしかった。
「今の零君なら大丈夫なのは分かっている。だけどね、もうあんな事だけはしないと約束して。私との約束」
「分かった」
これからどんな事があるのかわからないし、100%の保証はできないと心の中では思っていて、それも指導霊にはバレているの分かっていたけど、僕は口に出さなかった。それでも指導霊は満足したらしく、僕の想像の中で彼女は笑顔を浮かべていた。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。そんな気、もう今の零君なら起こさないでしょう?」
「まあね」
(さて、そろそろいいかな)
米粒がいい感じに煮えてお粥になってきたので、火を止める。そしてごくシンプルに卵をかけて、漬物を添えた。リクエストが無い状況なので完全にいつもの味付けだったけれど、少女が食べてくれるといいなと思いながら、疲れたので、自分も布団を出してきて横になった。体は疲れ切っていたけれど、心は喜びで興奮していて中々寝付けなかった。やっぱり・・・・。
(私と出会えた事そんなに嬉しい)
(勿論だよ。指導霊の声が聞こえるようになった。その事がとても嬉しい。自分は自分であって良かったと思えるから。指導霊と出会えたこと、それ、とっても大事だ)
(もう眠りなさい。いい夢を、零君)
ただガイドと会話する能力を手に入れた事が嬉しくてたまらないから寝付けないんだ。そう自分の精神状態を分析した結果、ガイドに色々聞いてみたいことはあったけど、まあこれからはいつでも話せるものなと自らに言い聞かせ、やがて瞼は閉じていった。
目覚め
とても深い眠りに入っていた気がする。意識が覚醒して行くそ感覚がいつもとは明らかに違っていた。退屈で灰色気味にさえ感じられていた日常に急にワクワクドキドキする感情が舞い込んできたような。幼少期の夏休みに味わったような新鮮な目覚めだった。僕は自然にゆっくりとした軽快な動作で体を起こす。
(おはよう、零君。)
この声の主と出会って初めての目覚めだけど、決して寝ている間に忘れるなんてことはなかった。そしてベッドに横たわる謎の少女の存在も。昨日初めて見た時もその肌の白さに驚いたが、蛍光灯の下で見ると肌の下の血管さえ透けて見えそうな程だった。しかし頬は若干赤みがさしてきた気がしてほっとする。恐らくこのまま看病していたら其内目を覚ますのではないだろうか。
結局昨日作ったお粥は自身で食すことになった。何故だろう、いつもよりいい味に出来た気がする。
(うーん、やっぱり他人に作ってあげるというのがよかったのかな)
ボソボソと静かな室内で独りお粥を口に運びながらそんな事を考えていると、即座に指導霊さんが思考に割り込んできた。
「零君。それ大切なことだよ。君はね、自分では人間嫌いだと思っているかもしれないけど、他人に奉仕するのが凄く合ってるんだよ。だから、これからはそんな生き方もいいかもしれないよ」
指導霊というのはその名の如くもっと命令調で話してくるものかと思っていたが、この指導霊さんはそんな事はないみたいだ。
(奉仕って、例えばボランティアとか?)
(良いと思うよ。とっても素敵でよく似合いそう。だけど今はまだ心の傷を癒すことに専念した方がよさそうだね。君の心は・・・)
そうやって彼女が僕の心の回復具合をどのようにしてか、チェックしているのが分かった。
(うん。大丈夫。本当の自分を取り戻せるの、そんなに先の事じゃないよ!)
その言葉に僕は反応した。
(今の僕はまだ本当の僕を取り戻せていないということ?)
(今はまだね。でもほとんど癒やしは終わっている。それも自らの力で。それは誇りに思って良いことだよ)
(そうか。ありがとう。スピリットガイドにそう言ってもらえると本当に心強いよ)
僕はお粥をかき混ぜながら礼子との会話を続ける。
(先の事はまた考えてみるけど、いま問題なのは・・・)
僕たちはベッドで横たわり、すうすると安らかな寝顔を浮かべる少女について考えた。そもそもにして・・・。
「あのさ、いい加減にあの子が何者なのか教えてほしいんだけど」
ずっと気になっていた事を聞いてみた。見た事もない女の子だったけど、何故か他人だと思えなかった。
「それにあなたはなんて呼べばいい?」
この際心に引っかかっていたことを解決してしまおうと、僕は連続で質問を投げかけた。
「まあ慌てないでよ、零君。一つずつ行こう。」
弾んだ調子の声だった。今の質問でこの声の主の機嫌が何故かとても良くなったようだ。
「あの子はね、あなたのツインレイなんだよ。今世で合うのは初めてだけど、前世で二人は恋人どうしだったんだよ!」
とても楽しいサプライズを届けるような口調で礼子は言った。
「そうか・・・」
ストンと自然に受け入れられた。僕自身そんな風に感じていたからだ。だからこれ程強くあの子に惹きつけられるのか。
「それで、次は私のことね。私に名前というのは特にないんだけど、零君の好きに呼んでいいよ」
もしこの霊の姿が視えていたら恐らくニッコリと満面の笑顔を浮かべているだろう。
「・・・そうだな。じゃあ礼子っていうのはどうだろう」
霊とそのままなのもどうかと思ったので、彼女に対する礼ということで此の名を提案してみた。
「うん。分かった。それでいいよ」
我ながら少々安直すぎたかと思ったが、どうやら気に入ってくれたらしい。
「礼子は僕等の前世を知ってるんだよね?」
「うん。そうだよ?」
「だったら教えてくれないか?僕の前世に何があったのか」
少し考える間を置いて礼子はあっさりと頷いてくれた。
「分かった。だけど前世の事は気にしすぎないでね。大事なのはあくまでも今だから」
「分かっている」
「それじゃね、教えてあげる。前世で君たちは確かに恋人同士だった。だけど不幸な事が起きて引き裂かれた悲しい恋人同士だったの」
「そうか」
何となくそんな気はしていた。
「明依ちゃんは遊郭で働く遊女だった。そして零君はそこへ通っていたお客さんだった。最初はね、それで」
「もういい。大体分かったよ」
あまりショッキングな情報は知りたくなかった。前世で悲しい事があっても今世で塗り替えて行けたらいいだけのことだ。
「私、零君のそういう所好きよ」
素直に顔に出てしまうくらい、礼子に褒められるのは嬉しかった。何だか指導霊さんが母親のように感じられてきた。