初授業
「じゃ、ここ訳してみて?」
「知識があった方がありとあらゆる場面で役に立つ。だから学生は寸暇を惜しんで勉強すべきなのだ」
「うん。正解」
今日も愛衣先生に英語を教えてもらっていた。
「ちょっと休憩しようか」
「うん」
私はリビングへ行って、りんごジュースを二人分持ってきた。
「ありがとう」
ストローで吸うジュースが美味しい。ありがとう、空。ちゃんと買ってきておいてくれて。
サッと窓から入ってくる風が心地良い。
「ねえ、綾ちゃんと空さんは二人でこのマンションに住んでるんだよね?」
「うん。そうだよ」
私達は最初泊まっていたウィークリーマンションから賃貸のマンションに引っ越してきていた。この土地にしばらくいる事に決めたからだ。
「ご両親はどうしたの?」
やっぱりそこが気になるよね。空はまだ説明してなかったみたいだ。
「私達二人で旅をしようと地元からここに来たの。だから私達に親はいない」
「そうなんだね・・・」
それ以上先生は追求せずにいてくれた。やっぱり他人から見たら不思議な二人に見えるんだな、と私は妙に納得していた。
先生は私の本棚を興味深そうに眺めていた。少しずつ集めた私の輝かしい宝箱のようなものだ。ちょっとおおげさだけど。空と私が頑張ったお金で少しずつ買い揃えたものたち。
「綾ちゃんも源氏物語読んでるんだね。面白いよね」
「うん」
「もう全部読んだ?」
「ううん。まだ半分くらいだけど」
「私も綾ちゃんくらいの年に源氏物語と出会ってね。夢中で読んでたなあ。是非最後まで読んでほしい。」
「読むよ。きっと」
空が外出から帰ってきた。帰りにスーパーで晩御飯の材料を買ってきたらしい。
「勉強は終わりました?」
「そうですね。それじゃ今日はこの辺りで終わりにしようか、綾ちゃん?」
「私は構わないよ」
是非一緒に御飯を食べて行ってくださいと空が提案していた。私もそう提案しようと思っていた所だ。愛衣先生は最初遠慮して断っていたが、空が是非にと言って聞かなかったので、最終的には折れてくれた。
「愛衣さんは一人暮らしでしょう?別に家族に迷惑がかかるという訳でもないなら、僕たちは愛衣さんと一緒がいいんです」
「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えて」
やった、3人での食事だ。空と二人でいるのも楽しいけど、これはこれで家族のようなものを少しだけ味わえた。疑似家族。空がお父さんで愛衣先生がお母さん。でも皆性格が似ているから、あながち冗談とも言えない。本当にこの3人が家族だったら私も幸せだったんだろうか。
「それにしても、綾ちゃんは賢いですね。今日も難しい英語の問題をあっさりと解いていたし」
「そうなんですか」
「空さんが教えてあげたんですか?」
「いや。僕は何も」
「・・・じゃあ、どうやってあれだけの学力を?」
「別に。一人で参考書とか読んでたから」
「・・・そうだったんだ。それじゃ私と同じだね」
「え?」
私も空も首を傾げた。
「いえ。私も綾ちゃんと同じ年くらいから不登校だったんです。一応大学には行ったんですけど」
「そうなんですか・・・。だから同じような不登校の子に教えているんですか?」
「ええ、まあ」
愛衣先生は楽しかった3人での食事が終わると直ぐに帰っていった。
「今日はありがとうございました。綾ちゃん、またね?」
「うん。バイバイ」
それから私は空と二人でリビングでお茶を飲んでいた。
「どう、綾?愛衣先生に教わってみて。僕はいい人だと思うんだけど」
「私もいい先生だと思う」
「じゃ、しばらくついてもらおうか」
「そうだね」
食後の時間はいつも大体二人でブログの内容を考えている。今の所私達のメインの収入がここから上がってるから、出来るだけクオリティの高いものになるように心がけている。以前は空が一人で書いていたんだけど、最近は私も文章を書くのに参加しつつある。
「今日は綾の所に初めて家庭教師が来たよ。愛衣先生っていうんだけどね、その先生凄く私と気が合いそうで優しそうな先生だった。次回来てもらうのが楽しみだなあ。」
と簡単にその日あった事を書いておいた。後は空がそれなりの内容にまとめてくれる。私は自室に引っ込んで、今日は何を読もうかと本棚を物色した。そうすると源氏物語が目についた。先生も勧めてくれた事だし、今日はこれにしようか。
私と空の関係
源氏が須磨に去ってしまってからの紫の上の話を読んでいるとやっぱり彼女が一番好きだなあと思う。光源氏はどうして彼女一人を愛さなかったのだろう。
・・・私は、どうだろう?いつか誰かを愛するんだろうか?例えば、空はどうかな?私と空は何なんだろう?恋人ではないし、友人かな?それとも今日感じたみたいに家族なのかな?・・・分からない。あの時一人でポツンと公園にいた私を空が拾ってくれなかったら、私は今もたった一人で・・・。
そう考えると怖くなった。この世界は怖い。たくさんの不幸があちらこちらにある。だけど楽しい事だって一杯あるはずだ。空は言った。二人で世界を見ようと。私も見たいと思った。悲しい事が吹き飛ぶくらい楽しい事がこの世界にあるのなら見てみたいと思った。ねえ、空。私、空にとても感謝しているよ。こんな私を連れ出してくれるなんて、あなたは凄い人だ。だから、一緒に世界を見ようね。