静悟の文学的空間

小説、読書感想、宮座賢治などについてのブログ

黒猫物語

月灯の下でドイツ語の勉強をしていると、ふと気になって窓の外をい見た。12月の寒気が広がる夜の暗闇は静かで、人気がない。
何となく散歩でも行くかという気になった。
寒さに思わずジャケットで包んだ身体を抱きしめた。どこへ行くかな。
真珠庵公園でも行くか。夜の公園でベンチに座りながら夜空を見上げるというのも悪くない。

道中のコンビニで買ったほうじ茶を啜りながら、予定通りベンチに座って、静かに時を過ごしていた。今日読んだ、小説やドイツ語の文法が頭の中で整理されて、神経が穏やかに整ってゆくのを感じた。今夜はよく眠れそうだ。

「にゃあ」
黒猫が向こうから園内にやってきて、僕の足元へと歩いてきた。可愛い顔の猫だった。首輪はついてない。深夜に野良猫を見かけるのは珍しくないが、こちらへ寄ってきたのは初めてだ。
「どこから来たんだい?」
無口な僕も無人の公園では独り言を言う。
「にゃあ」
普通の猫だったら人を見ると逃げてゆくが、この猫は僕の足に体を擦り付けてくる程人懐っこい。頭を撫でると気持ちよさそうににゃあと鳴いて、ますます僕に身体を擦り付ける。しばし戯れていると可愛くて仕方ないと思うようになった。
「君は野良猫だから餌を得るのも大変だよね。そうだな・・・。ちょっと待ってな。何か買ってきてあげるよ」
財布を手にコンビニまで走った。そして小魚の詰め合わせを買って、自分用にも肉まんを買って公園まで走って戻ってきた。猫は忠実なペットのように僕の帰りを元の場所で寝そべって待っていた。
袋を開けて手のひらに煮干しを乗せて目の前まで持ってゆく。
「ほら、お食べ」
「にゃあ」
嬉しそうにムシャムシャと食べる様子が非常に愛らしかった。
自分も肉まんを齧りながら「君を家に連れて帰れたらいいんだけどな」と独り言を呟いた。残念ながら今の住居はペットが飼えないのだ。
「また会えるといいな」
寂しい一人暮らしにはペットが必要だと常々思っていた。だけどこの公園で会えるのなら部屋で飼えなくても構わないと思った。
「しかし、猫って寒くないのかな。寒いよね。いつもどこで寝てるんだい?」
「にゃあ」
食べ終えて僕の顔を見上げてくる。彼が何を考えているのかは勿論分からない。この近くの軒下を寝床にでもしているのだろうか。

「じゃあ、またね」
身体も冷えてきたし、そろそろ帰って勉強の続きでもやろうと公園を出ようとした。黒猫はにゃあと鳴いて気のせいか寂しそうに見えた。僕は猫と別れることが寂しかったので、彼もそう思ってくれていたら嬉しい。今度はキャットフードを買ってくるよ。

翌日、念の為昼間に公園を訪れた。もしかしたら昼間でも会えるのではないかと思ったのだ。だけどしばらく本を読みながら待っていても昨日の黒猫はやってこなかった。少し残念だった。本を閉じて持ってきたキャットフードをポケットにしまった。また夜に様子を見に来よう。昼は人が来るからきっと彼も警戒しているんだ。

それから部屋でひたすら太宰治の小説を読んで、夜の12時になってから、再びキャットフードを片手に公園にやってきた。果たして昨日の黒猫は昨夜のベンチの側で横になっていた。だけど今日は彼一人ではなかった。

女の子が昨日僕が座っていたベンチに腰掛けて、黒猫の頭を「よしよし」と言いながら撫でていた。長い髪の中学生くらいの子だ。
一瞬どうしようかと思ったが、一応公園の中に入ってみることにした。園内に足を踏み入れると少女はチラリと僕の方を見たがすぐに猫を可愛がる事に意識を戻した。少し離れたベンチに座ってその様子を眺めていた。もう深夜だけどこんな時間に子供も来るんだな。それにしてもあの黒猫はやっぱり人懐っこい。僕だけに懐いていた訳ではなかったんだな、とちょっと落ち込んだ。しかしそんな僕の気持ちを悟った訳ではないだろうけど、黒猫は僕の方を振り返ると、トコトコと昨日のように歩み寄ってきた。少女は呆気に取られてから僕の方を軽く睨んでいた。僕は何もしていない。
「よしよし」
何となく少女を真似てそう声をかけて頭を撫でる。何だか猫の様子から餌を催促されている気がした。やっぱり昨日餌付けしたのせいかもしれない。焦らすこともなくすぐにポケットからキャットフードを取り出して猫に与えた。彼は美味しそうに夢中になって缶詰を食べていた。
「あの、餌与えちゃだめですよ。」
「ん?」
「この公園動物に餌を与えてはいけないことになってるんです」
暗がりの中でよく見えないが、少女は整った顔立ちに見えた。小柄で下手をすれば小学生くらいに見える。それにしても餌付けはだめだったか。
「そうなんだ。でもこの子は欲しがってるみたいだよ?」
「そうですね」
彼女も猫の可愛さに葛藤しているみたいだった。
「まあ、猫の一匹くらいなら大した糞害にもならないし、いいかな」よしよしと猫を可愛がる少女。食事中の猫は少し迷惑そうだったが。

やがて食事を終えて黒猫は丸くなっておとなしくしていた。食休みだろうか。
「お兄さん。見ない顔だね。近所の人?」
「まあね」
「こんな時間に何してるの?私は時々この子の様子を見に来るんだけど」
「僕もそうだよ。もっとも昨日からだけど」
「ふうん」
よく見てみると少女はやっぱり可愛い顔をしていた。吊り目がちで形のいい眉をしていた。
「君は寝なくていいの?明日学校は大丈夫?」
「学校には行ってないの」
「そうなんだ」

人であること

植物園をぐるっと回って僕はお気に入りのベンチで本を読む

こんな毎日が続けばいいと

のんびりと風を肌で感じながらしみじみと思うのだった

ふと動かない植物になりたいと願っていた頃の事を思い出す

けれど今は人間であることを少しは肯定的に思えるようになったのだった

何故ならこれだけたくさんの美しい景色と

のんびりとした風景が楽しめるから

孤人物語 完

紫と青を混ぜて描いていた。絵を書けば何かが変わるのではないかと思った。鴨川と大文字山の森を描いていた。何十枚も描いて、何となく創作を中断し、料理を作ることにした。豆腐と魚の味噌汁をさっと簡単に作って、じいちゃんのいなくなった座卓で食していた。あれから何十年経つのだろう。あの頃の記憶は僕の中でまるで封印されかのように全く思い出せなくなっていた。結局豆腐を少し食しただけで、食べるのを終えた。暑いので冷蔵庫にしまう。鍋を洗って、静かに活字を追っていた。

読み終え、パタリと単行本を閉じてちらっとカレンダーを見た。このカレンダーが今年のものならば、今は2021年らしい。へえ。あれから17年経つのか。

布団に潜り込んので、天井を見ていた。久しぶりにあの頃の夢が見れるといいとおもいながら、眠りについた。

何となくかろうじてじいちゃんが卵焼きを作るが凄く上手かったというのを思い出した。何となく目が覚めて早々に卵焼きを作っていた。

完成したものをかかげて、しげしげと観察しつつ、はしっこだけかじってみる。悪くない味だったけど、あの頃どんな味だったのか全く思い出せなかった。結局一口でやめてしまった。最近ロクに食事を取っていない。冷蔵庫に料理だけがたまってゆく。

昨日の絵の続きを描いていた。何となくシャガールに少しタッチが似ている気がした。じいちゃんも絵を描くのが好きだった。それから描いていて、気がつくと夕方になっていた。

本当に何となく、じいちゃんと食した料理つながりで二人でカレーを食べた事を思い出した。あのお店は今もあるのだろうか。何しろ17年ぶりだから、既に閉めてしまったかもしれない。戸締まりをすませて、行ってみることにした。

結果として今も変わらず営業していた。凄く懐かしい。入ってみた。内観は多少変わっているものの、あの頃の面影を残していた。水を運んできた女性はあの頃からいたのだろうか。全く思い出せない。

運ばれてきたカレーを食べた。やはりどんなカレーだったのか今ひとつ思い出せなかったが、何となく懐かしい気がした。不思議だった。近頃ではいつも一口しか食べれないのに、全然記憶にもないこのカレーを気がつくと完食していた。これでしばらく、何も食べなくても大丈夫かなと少し安心しながら、チラッと窓を見ると、山が見えた。登らなくなってから何年経つのだろう。

記憶が消えた。何十年も書き続けていて、気がついたら僕を苦しめていた忌まわしいな記憶のすべてが手からこぼれ落ちるようにどこかへ行ってしまった。孤独。それこそが、僕を癒やしたのだった。何十年もの創作が僕の心を癒やしてくれた。僕とじいちゃんとの物語は創作を交えながらも、かすかな記憶と混じり、僕を内部から浄化した。

そしていつも通り、この日も夢中でタイプして気がついたら眠っていた。

目が覚めて異変に気づいた。心臓に違和感を感じる。執筆していても、どんどんおかしくなるようだった。時々ズキズキと痛んだ。

久しぶりに布団で寝た。目を閉じながら何となく思った。そういえば、40年前から書き続けて、ロクに体の事を考えてこなかった。それにしては、よく持ったものだと思うが、そろそろ限界なのかもしれない。子供の頃から何度も死のうと思っていた僕がとうとう天に召されるらしい。そう思うと、わくわくした。

翌日には確かに昨日にも増して異変を感じた。起き上がるのにも多少ふらつきを覚える。

タイプしながらお茶を飲んだとたん、吐いた。胃の中には何もなかったので、大したことはなかったが、心臓と嘔吐って何か関係があったかなと思いながら、何となく鏡で見てみると、腫れていた。昔何度も刺した後が変色している気がした。

まあいいやと、変わらずにパソコンで物を書いていると、意識を失ったらしい。ただ、畳の感触だけを覚えていた。

うっすらと眼を開けると、天井が見えた。パソコンは変わらず起動している。そうか、タイプしていて、気絶したんだった。心臓が激しくいたむ。これは死期が迫っているのかもしれない。起き上がろうとしたが、立てなかった。体に力が入らない。それから何時間か経った。相変わらず起き上がる事は出来ない。

鼓動の異常な速度を感じた。ああ、死ぬんだなと思った。肉体の異常で最早まともに思考することができない。だけど、走馬灯は見なかった。ただ一つ爆音を立てていた心臓が緩やかに止まってゆく中で、視えたのはあの頃の夏にじいちゃんと川でヤゴを捕まえた記憶だった。僕は笑っていた。じいちゃんも笑っていた。確かにあの夏は存在していた。消えてなくなったわけではなかったんだ。それだけで僕は満ち足りていた。生きて良かった。

 

孤人物語 

山をひたすら登っていた。透き通る水面を眺めながら立ち止まっていた。山中他界。湧き水が飲める場所があった。自販機のペットボトルの水とは全然口当たりが違う。ほんの少しだけ煮詰まった脳が軽くなった気がした。

体力の限界は遥かに超えていた。頂上まではまだ遠い。この先に休める場所があったはずだ。

汗を大量にかく。片手に持った賢治の銀河鉄道の夜とペットボトルで頻繁に立ち止まりながら水分補給を行わなくてはならない。肉体を酷使すれば何かが変わるかもしれないと思ったので、急に思い立って何年前に一度登ったきりの大文字山にやってきていたが、その時より遥かに肉体が衰えている。

立ち止まりながら、川の水面を眺めながら、ようやく休憩所にたどり着いた。静かだ。木に座れるようになっている。やはり山はいい。静かで感受性が研ぎ澄まされてゆくのを感じる。既に水は空になっていた。汗が渇くまでいようと思う。30分以上座っていても飽きなかった。次第に山に住んでいる精霊になった気がしてくる。いい感じだ。本来の自分に戻れているということだ。座っている木の空洞には蟻が蠢いている。幼少期の血が騒ぎ出すのを感じた。つい先刻まで首を吊ろうとしていたが、毎日山に来れば死なずに済むかもしれないと思った。

一時間程休み汗が渇いた。そろそろ再開するかと頂上を目指して土の道を登る。

頂上に辿りついた。景色がいい。遠くに西の山が並んでいる。あの山は何ていう山なのかと西本さんに訪ねた事をふと思いだした。いい思い出の一つだ。

暑いが、頂上の景色を眺めていようと思う。座り心地のいい石を探して、景色を見下ろしていた。眠い。昨夜首を吊ろうとしたり、ベッドで何時間も思考が止まらなったり、包丁で心臓を刺そうとしたりで、全然眠れなかったから、景色を見終わったら、少し寝ようかと思う。下の方は野原になっていて、緑が広がっているのを見ると、やはり幼少期のかすかな記憶が脳の奥の方で騒いだ気がした。何故か9歳以前の記憶が全然思い出せないのだった。それ以降の忌まわしい記憶だけは大量に脳内に蓄積されていて、何十年も経った今でも僕を悩ませつづけているのに、僕が僕でいられた頃の事、一番大切なはずの思い出がすっぽりと抜け落ちているのだった。山道を登りながら眼にした川の水面の透明さや森の静けさや、小動物の気配や、拾ったはずのどんぐりにやはり過去の自分を取り戻す事が重要なのではないかと思うのだった。今の所取り戻す方法は森や山に登る事くらいだったが、失われたはずの大切な記憶が戻る日、僕を苦しめている記憶が浄化される日は果たしてやってくるのだろうか。

眠い。アスファルトに寝転がって目を閉じる。暑いが眠れない程ではない。そして僕は何日かぶりに安らかな眠りについた。

夢を見ていた。西本さんと頂上から景色を眺めていた夢だ。思い出は美化される。夢も美化されるのだろうか。夢の中の僕にとっては大切な思い出だった。ただひたすら初めて登った山の上から景色を眺めていただけなのに、僕にとって唯一といってもいい、成人してからの大切な思い出だった。

硬い石の感覚で眼を覚ますと、僕は涙を流していた。どんなに苦しんでいても、どうしても泣けなかったのに、涙を流せたのは何年ぶりだろうか。

暑い。帰りに湧き水を飲もうかと思った。山にいる時間が長いほど、浄化される気がしたが、さすがに肉体が危険を発しはじめているのだろうか。毎日来ようと思っている場所だ。また来ればいい。名残り惜しみながら、もう一度景色を振り返り、後ろ髪を引かれながら下山することにした。

命の危険を感じたいと思った。どんな方法を試してみても、どうしても止まることのなかった思考に疲れ果て、体を痛めつけたり、死を感じたりすれば記憶が消えるかもしれないと思った。だけど思っていた程の効果はなかったかもしれない。西本さんとの夢の記憶も遠くなっている気がした。

遠い。やってくる時は追い詰められていたので、どうにかなったが、帰りはバスにしようかと思う。自転車は置いてかえればいい。

バスの中は涼しくて汗で冷えてしまう。登山ルックの人がまばらに座っているだけで、少しだけ落ち着いて乗れる。大文字山や植物園にいる人達は優しそうだから好きだ。

家に帰りたくないとふと思った。あの部屋にはロクな思い出がない。夜になるまで帰らないことにした。それまでどこで過ごそう。鴨川がいい。のどかだから。バスを降りて、東の方へと歩き出した。

眠い。鴨川に着いたらベンチで寝ようかと思う。

深木君は真面目すぎるんだねぇという西本さんの言葉を思い出した。だから自分を追い込んでしまう。そうなんだろうか。僕の記憶はどうやったら消えるんだろうか。考えてしまう。この地上に舞い降りた事はどう考えても間違いにしか思えないと。

ベンチで水音をBGMに再び僕は眠りについた。また夢を見た。美化された夢だ。二人でベンチに座りながら旋回する鳶を眺めていた。

「あんなふうに飛べたらいいのにねえ」と西本さんが言っていた事を思い出す。これも大切な思い出の一つだ。

起きると既に辺りは暮れていた。まだ眠り足りない。まだしらばくここにいようかと思う。どの道部屋には帰れそうにない。

何時間も川を眺めていた。礼先生が教えてくれたチャクラ瞑想を試してみることにした。真紅から紺色まで下から順番にイメージしながら脊髄の中を駆け上ってゆくのを感じる。ああ、暖かいなと思った。やっぱりあの人は優秀なアドバイザーだと思った。ああ、記憶消えないかなと思いながら、最近はこの事ばかり考えている気がするが、僕は瞑想に浸っていた。

夜が更けた。IPHONEを見ると10時だった。いつもならそろそろ帰って眠る頃合いだったけど、今日はどうだろうか。帰りたくないなあ、あんな部屋と思いながらも、また明日山に登ろうと思い、僕は帰路についた。

部屋に帰って歯を磨いて布団に入ったけど、予想通り眠れなかった。駄目だ、横になっているだけで、脳が痛みを発し、口の中が鉄の味を発生させる。非常に頭の疲れた人だなあ、と初めて会った時、礼先生に言われた事を思い出した。生粋の空想家なんだろうなと思う。ずっと何か考えて、それでは死にたくもなるはずだと礼先生が言っていたことを思い出した。もう読むのはやめにしよう。妄想空想の才があると言ってもらえた事を励みに僕もそろそろ何か書いてみることにしよう。芸術創作は自己治癒の効果があるという。もうこの方法しかないと思った。

出来るだけ楽しい描写を選びながら、ひたすらキーボードを叩いていた。吹き出る汗を拭いながら、書いていた。水を頻繁に飲みつつ書いていた。精神性の冷え性でキーボードが叩けなかった事を思い出す。あの頃に比べれば少なくとも肉体的には今の方が幸せなんだろうけれど、つい昼間には包丁で心臓を突き刺しかけていた。分からないものだ。

肉体なんて物の数ではないと思った。長時間のタイピングによる手の痛み、汗のべたつき、それらは異常な脳の疲労に比べれば大した問題ではなかった。こうして四六時中書いていれば落ち着けるかもしれないと思った。

あれから一週間経った。時々眠りながらも、食事も摂らず、水を飲みながら、書き続けた。チラッと見ると10万字以上は書けたみたいだ。確かに微妙に微かに脳の具合は多少マシになっているような気がした。少なくとも眠っている時よりは楽だった。手が徐々に炎症を発生させてきている気がするが、まあいいか。なんとかなるだろう。寝食を忘れたタイピングの間だけはかろうじて生に繋ぎ止められている事が可能なようだった。

後一月もしない内に心地のいい眠りが訪れそうな予感がした。鬱々として熱い脳に心地のいい冷涼さを感じるような瞬間が時々あった。いつの間にか部屋から死の匂いが消え去っている気がした。

あの日、初めて書いた日から、何ヶ月経った。相変わらず僕は書き続けている。賢治は一月で3000枚書いたと言われている。彼に比べれば全然及ばないが、文庫本で何冊かくらいは書けた。詩を書いた。短歌を書いた。短編を書いた。長編物語もいくつか書いた。あくまで僕の心を癒やす事が目的だった。そしてその自己治癒の効果は色んな本に書かれていたように確かにあった。読み直すことはしたくなかった。書いたものは端から忘れてしまった。ここで僕は一つ、自身の幼少期から来る物語を一つ書こうかと思った。

一太郎の新しいページに冒頭を記した。

「じいちゃんと山を登っていた。僕は虫取り網と虫取りかごを持って歩いていた。暑い夏のことだった」

タイプする手を止めて、目を閉じると、失われた幼少期の記憶をほんの少しだけ甦えらせる事が出来た気がした。まだ記憶とさえ呼べない想像の範囲でしかないかもしれなかったが、過去の事実に近いイメージであるように思えた。

「僕はじいちゃんに手を引かれていた。葉の裏にカマキリが隠れているのを発見した。僕はすぐさま手で鎌の届かない首の真ん中を掴み、捕獲して素早く虫取りカゴに仕舞った。僕はカゴの中のカマキリを観察しながら歩いていた。忙しく鎌で頭部をかきながら、ぐるぐるとした眼でこちらを見ている彼の様子を眺めながら。中程まで来ると川が流れているのが見えた。じいちゃんと共に川に降りた。ヤゴがいそうな水の透明さと砂具合だと思った。気配に神経を集中させながら砂を慎重に掘り返してゆく。じいちゃんはただ背後で虫取りカゴを持って、僕を見守ってくれていた。何度も掘り返していると、手に何か生物が触れた。見つけた、ヤゴだ。僕は素早く両手で捕獲して、じいちゃんが広げてくれた透明袋にそれをいれた。水と砂も入れる。ヤゴが心地よさそうに泳いでいる。

再び僕とじいちゃんは山を散策しながら歩きだした。最早登るというよりは散策だった。僕はあっちこっちを奔走しながら、ひたすら生物をじいちゃんの持っているカゴや袋に捕獲して回った。気がつくとお昼になっていた。

じいちゃんと僕はゆっくりと下山して、麓から少し左に行った辺りにある喫茶店に入った。じいちゃんは安くて素敵なお店を見つける名人だった。この店は初めて入る。

大抵僕はじいちゃんと一緒にレストランに入ると、お子様ランチかカレーを食べていた。じいちゃんは僕の好みを把握しているから、いつもそれを頼んでくれていたように思う。僕は傍らに置いたカゴの中の生き物たちを時々眺めながら、このお店の個性的なカレーを口に運んでいた。今日はいつもより少しだけ豊作だった。幼い僕は眠くなってきていた。そして、いつの間にか眠ってしまったらしい。じいちゃんにおぶわれて家に帰る途中、微かに、じいちゃんの背中の暖かみを微睡みの中で感じていた気がした。

ここ辺りは僕の創作だ。

「僕とじいちゃんは二人暮らしだった。僕とじいちゃんの家は大文字山から歩いて10分くらいの雰囲気のある一軒屋だった」

帰宅してから夕方くらいまで寝ていただろうか。起きるとすぐに僕はこの日の戦果達を観察するのに没頭していた。僕はカマキリを広めの水槽に移し、雑草と小枝を配置して、最後にカマキリを投入した。見た所この子はメスのようだった。そのうち卵を天井に産み付けるだろうかとワクワクしながら、ひたすらあるきまわりながら、鎌を振り回すカマキリを観察していた。

夜になるとトイレに眼を覚ましてふとんに戻るまでの道でカマキリが水槽の青蓋にお尻から繭のような卵を産み付けているのが見えた。その神秘的な光景に僕は魅了されていた。すごい。この中から大量の小カマキリが産まれるんだな。

布団に戻るとじいちゃんはいびきを掻いて寝ていた。隣でじいちゃんの匂いを感じながら、僕は眠りについた。

トントンという音で僕は眼を覚ました。そしてすぐにカマキリの様子を見に行った。卵は青蓋に張り付いている。ヤゴの様子を見に行った。砂の中に潜っているらしく姿は見えない。しばらく観察した後、ちらりと空を見ると、今日も暑そうだ。

ここまで書いた辺りで、僕は精神状態が悪化してきている事に気がついた。そして書くのを中断した。これ以上はやめておいたほうがよさそうだ。

少し時をワープさせることにした。

じいちゃんは僕が10歳のときに亡くなった。以来僕はたったひとりきりで生きてきた。奥の倉庫にはじいちゃんが遺した大量の書物があった。それまでの僕は本なんて全然読まなかったのだけれど、何となく手にとって、読んでみた。最初は何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。純真で無邪気だった少年はじいちゃんの死とともにどこかへ行ってしまい、以来僕はあれほどまでに情熱を注いでいた大文字山の散策も川の中でのヤゴ探しも、何もかもしなくなってしまい、倉庫の中の本を読み尽くすことがじいちゃんの追善供養だとでも感じていたのか、ひたすら書物の中に身をうずめるようになった。気がつくと、7年が過ぎた。

孤人物語 僕という人間

天涯孤独

いつものように自室のゆったりとしたソファに深く沈み込んで何時間も集中して本を読んでいると、目の前の山積みの書物から一冊がドサッとこぼれ落ちた。何が落ちたのかなと思って見てみると、漱石のこころだった。こころは漱石の中で一番気に入っていた小説だったのだが、昨日で飽きてしまった。

僕に両親はいない。身寄りも知人もいない。幼少期の頃は母親がいたのだが、父は最初からいなかった。離婚したのか、死別したのか、僕も特にその辺の事情を知りたいとは思わなかったし、母さんも何も話さなかった。

母さんは、僕がまだ幼稚園の年齢くらいの時は心身健やかで、よく色んな所に出かけたものだった。だけど僕が9歳くらいの頃には体調を崩していて、部屋で寝たきりになっていた。その頃から僕はよく本を読むようになった。学校にも行ってなくて、外に出るのは毎日の散歩くらいだったから、家にいる時間が長かった。その時間を埋めるのに丁度よかったのが家にある膨大な蔵書だったのだ。母さんが揃えた一万冊を越える蔵書がリビングと母さんの部屋に置いてあり、幼少期から僕は家の本を片っ端から読んでいった。17歳の今でもまだ全部は読み切れていない。

僕が15の時に母さんは死んだ。元々体の弱い人だったんだ。ずっと寝室で寝ていたから、母さんの生きていた頃から僕はほとんど一人暮らしみたいな状態だったけれど。そして母さんが死んでしまった後、僕は完全に一人きりになった。残ったのは母さんが愛した本達とこの家だけだった。

朝、7時に目が覚めると、枕元から手探りで文庫本を手にとって読む。徐々に体と脳が目覚めてくるまで30分ほどかかる。1時間程で文庫本を中程まで読み終えて、キッチンに紅茶を淹れにいった。ポットから紅茶を何杯か注いで飲むと、体が温まり、本格的に精神が覚醒しだす。これが9歳から続けている僕のモーティングルーティンだった。

さて、今日は何を読もうかと、書物を手に取って物色する。それにしてもよくこれだけの数を揃えられたものだと思う。母さんは著名な学者だったから、これくらいの量は読んでいて然るべきだったのかもしれないけれど。

昨日で文学への渇望は消えさってしまった。今日からは仏教書を主に読んで宗教研究に励んでいこうと思う。空海真言密教、釈迦や仏教誕生の流れに関する本、後は一応、日蓮親鸞も何れ読もうかと思っていた。取り敢えず朝から余り難解過ぎるものを読みたくなかったので、山折哲雄の「霊と肉」を読むことにした。タイトル通り霊能に関する考察に結構なページ数が割かれている。思った通りだった。僕は自分には霊感がないけど、シャーマンとか原始人とかスピリチュアルな話は大好きなのだ。

丸善書店

次第にもっと色んな本が読みたいという気持ちがどんどん膨れあがってきた。そうだな。今日は天気もいいし、久しぶりに本屋に出かけようかな。

思い立ったが吉日。着替を済まし、念の為、リュックに着替えと水筒を入れて、出発した。京都で一番大きな本屋であるところの丸善書店へ赴くことにした。

有料の駐輪場に自転車を停めると少し汗をかいていた。トイレの個室で持ってきたシャツに着替え、ついでに水分補給も済ませて、改めて書店へ向かった。

丸善の室内はエアコンが効いていて心地よかった。文庫本コーナーで買うべき本の表紙をを時々IPHONEで撮りながら、頭の中にもリストアップしてゆく。最初に仏教関連の棚を周り、何冊かカゴに入れて、神話コーナで、ケルト神話の本をまた数冊カゴに入れる。後は植物の雑誌をいくつか買った。後はネットで注文しようと思って、見落としがないか棚を順に回っていった。宗教学、心理学、人類学、植物学、精神世界。

うん、今日はこんなところでいいかな。歩き疲れたので書店内のカフェで少し休憩することにした。ワッフルと紅茶をオーダーして、買った内の一冊を読む。植物に感覚があるかというテーマで書かれたこの本はネット上では結構評判が良かったので、気になっていた一冊だ。今日手に入れる事ができてよかった。平日の日中だからかあまり人は入っていない。おばさんの喋り声は時々聞こえてくるけど、出来るだけ人を避けた一角に座ったので、読書に集中するのに差し支えはなかった。

この本によると、植物にも人間と同じように好き嫌いがあったり、人が触れるとストレスで萎れてしまったり、モーツァルトの音楽を好んだりするらしい。僕が一番興味を持っていたのは、植物と会話が出来るかどうかということだったのだけど、残念ながらこの本にはそこまでは書いていなかった。ネット上のとある記事でそういう話を聞いた事があったんだけどな。僕は家の庭で咲いているであろう花々達を思い出していた。一応水やりの時に軽く話かけたりしてるのだけど、他にも植物との会話を可能にする上で何か有効な術があるのだろうか?

僕には生まれ持った霊感や超能力はない。残念ながら今の所も発現する兆候は見られない。だけどそういう事にとても興味があった。そのために宗教の本を読み漁っていると言っても過言ではなかった。

以前に、とある能力者の人に、君は相当の感受性の持ち主だから何れ視えるようになるかもしれない、と言われたことがある。僕はその事をずっと誇りに思ってきた。例え、住みづらく生きづらいこんな世の中でも希望が見えた気がした。こんなに苦しい思いを抱えているのも決して無駄なことでないのだという希望が。

帰り道、自転車を30分以上も漕いでいるとさすがに初夏の暑さに参ってしまう。次はタクシーにしようと決意した。家に着くと、荷物もそのままにシャワーを浴びた。

サッパリしてお茶を飲みながら庭の植物たちを眺める。彼等は僕の事をどう思っているんだろうな。思えば、園芸というのは植物にとっては残酷な事なのかもしれない。何故なら自然に生きているはずの種をこんなに小さな鉢に限定させてしまっているのだから。

帰宅して一段落したので、遅めの昼食を摂ることにした。ほうれん草のお浸しと、豆腐とワカメの味噌汁で簡単な食事を摂った。僕はごく簡単で手短に出来る料理しか作らない。手間をかけてまで美味しいものを食べたいとは思わないのだ。食べ終えて食器を洗い、歯を磨いて、寝るまで本を読んで過ごすことにした。僕の最近の毎日は大抵こんな風に過ぎてゆく。

穏やかな陽

暖かな陽だまりの中彼方さんは陽気に散歩に出かけた。アパートの裏に広がる森を抜けてゆく。陽の光の暖かさを感じながら、昨日ネットで見た葉についての知識を光を反射する葉達を仔細に観察してみた。つぼみと芽と木々の葉の生え方、葉の形について。やはり知識があると楽しいと彼らの美しさを感じながら、ゆったりとしたペースで個性豊かな葉や樹皮を眼で感じながら、時折柔らかな土と横たわる落ち葉にも眼を向けながらこの森の空気に瞬間瞬間に癒やされ自然に調息されてゆくのを感じた。坂道を昇るとまた少し景色が変わる。太陽をバックに背中から光を浴びる木々を幽霊のように感じる。地に転がる石と彼らとが演出する庭が彼方は割と好きだった。大体よく行く散歩コースの一つだった。坂の上の果樹園は実に様々な植物で溢れかえっている。果樹園を通り過ぎた付近の屋根にねずみ色の斑模様の猫を発見した。突然の出会いに内心驚きながらも久々の猫との出会いを好ましく思い、じっと動かず彼を観察していた。寝そべってただこちらを見つめる彼の背後屋根の裏側からもう一匹の茶色の猫が現れた。興味深く無我の境地のような感覚で彼等とただ見つめ合っていた。5分ほど過ぎたのだろうか、もう少し近づいてみたくなったのだが、彼方の微細な動きを即座に察知した彼等は俊敏な動きで屋根からいなくなった。やはり彼等の鋭敏さは素晴らしいものがあるな、と感心しながら反対側から見える立派な黄緑色の樹に暖かさを覚えつつ坂を下っていった。平らな道の交差点まで来た所で遠くに君臨する薄い雲がかかった山に魅入られる。この場所は本当に良いところだと思う。開けていて空がよく見える。魅力的な山に囲まれ至る所に樹木が点在している。石達もそこら中の地面で拾うことが出来る。この暖かな陽の中での散歩の時間が彼方の最も心地のよい瞬間だった。ただ惜しむらくは彼方に自然に関する知識が乏しく彼等をただ眺めることくらいしか出来ないことが不十分に感じていることだった。そしてもっとより自在な肉体があればあの山を登りこなすことができるはずだと、あの山の中にはもっと面白い事が待っているに違いないといつも想像するのだった。このつまらない日常を吹き飛ばすくらい新鮮な体験がこの地球上にはまだまだ膨大に存在しているはずだと信じていたのだった。

 

ゆっくりと一休みした中西さんはお気に入りの水色のでベランダの草花達と触れ合うことにした。丹精な入念な彼の献身的な保護により、非常にどの子達も輝いて見えた。緑の葉が照らし返す光の美しさを眼を細め楽しみながら深く呼吸が整い、彼の魂が目覚めるようにリラックスしてゆくのを感じていた。一旦植物達に別れを告げ自らも食事を摂ろうかと思った。ブロッコリーを茹で人参を刻み、コーンポタージュと目玉焼きとトーストで十分に栄養を吸収した中西さんは顕微鏡をセットして鉱物のミクロな美しさの観察に熱中することにした。昨日は緑の石達を主に調査していたのだが、彼の一番のお気に入りはやはり青い鉱物、サファイアラズベリー、ラリマー。その日の精神状態によりどの子に最も夢中になれるかはその日の気分次第だけれども、ただ無心に近つける事はたしかだった。ルビーの赤も、トパーズの黄色、アメジストの紫色も勿論我を忘れるくらい魅入られるけれども、やっぱり青色が僕は一番好きだなとしばらくの間時を忘れていた。ふと気がつくと、時計の針は既に正午を回っていた。オレンジティーで一息ついた彼はお決まりの散歩コースへと今日も繰り出すことにしたのだった。玄関のポトス達に微笑みかけながら、陽気な青空を眩しげに見上げながらアパートの階段を降りて行き、今日の森はどんな変化があるのか気楽にのんびりと歩き始めた。歩行睡眠に陥りそうな程心地の良い気候だった。土の枯れ葉がカサカサと靴で感じながら、黄緑色の光る葉に主に興味を惹かれながら昨日との微細な違いを見つけようと細かい芽や花の様子に自然に眼がゆくのだった。

 

僕らの旅路15 絵本を読んで

せっかく出会えた良き先生と直ぐに別れさせるような事はしたくなかったので、いずれ旅立にせよ、しばらくはこの地に逗まる事に決めた。近頃、以前にも増すペースで愛衣先生はは綾の下へ授業にやってきてくれている。今日も夕方から愛衣先生は僕らのマンションにやってきていた。

「本当に申し訳ありません。いつも一緒にいただいて」

「気にしないでください。僕らが望んでるんですから」

この日も僕と綾と愛衣先生は一緒に御飯を食べていた。綾は黙々と食べていたけど、この3人で一番この3人での食事を喜んでいるのが、僕には分かった。

「それじゃ、また明日ね。綾ちゃん」

「うん」

如月さんは食事が終わって帰ってゆく。それを見送る綾はいつも寂しそうにしていた。

最近、少し変わった事がある。それは、綾が絵本を読んでほしいと言うようになったこと。愛衣先生が帰ってしまう時、綾はいつも寂しそうにしていて、その寂しさを埋めるかのように、僕に絵本を読んでと言うようになった。

と言っても、僕が持っていた絵本は宮沢賢治くらいだった。とりあえず、それを読んで聞かせることにした。

「大きな望遠鏡で銀河をよく調べると、銀河は大体なんでしょう?綾は何だか分かる?」

「星」

「正解」

ベッドの中で静かに朗読を聴く綾の頭を撫でながら読みすすめる。

「このぼんやりと白い銀河を大きな良い望遠鏡でみますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョバンニさん、そうでしょう?ジョバンニは真っ赤になってうなずきました。けれども、いつかジョバンニの目の中には涙がいっぱいになりました。そうだ。僕は知っていたのだ。勿論カンパネルラも知っている。それはいつかカンパネルラのお父さんの博士のうちでカンパネルラと一緒に読んだ雑誌の中にあったのだ。」

賢治の銀河鉄道の夜は僕の一番気に入っている作品だ。僕は集中して読み進めて行った。

「このごろ、僕が朝にも午後にも仕事が辛く、学校に出ても、もう皆とハキハキ遊ばず、カンパネルラともあんまりものを言わないようになったので、カンパネルラがそれを知って気の毒がって、わざと返事をしなかったのだ。そう考えるとたまらないほど自分もカンパネルラも哀れなような気がするのでした」

「・・・可愛そうなジョバンニ」

「そうかな?」

「まだ小さいのに働かないといけないなんて。それにザネリっていう嫌な子もいるし・・・」

「でもカンパネルラという親友はいるし、お父さんは留守だけど、お母さんは家にちゃんといる。綾より恵まれているところもあるんじゃないかな?」

「私は・・・。私は幸せだよ?空がいるから」

「そうだね。僕も綾がいてくれるから幸せだよ」

それからしばらく銀河鉄道の夜を読み聞かせていたのだが、気がつくと綾はスウスウと寝息を立てていた。おやすみ、いい夢を、綾。

それから、僕は自室に籠もってブログをチェックしていた。今日も順調にアクセスがきている。UPする詩を書くべく、ワードソフトを起動させて、想像力を巡らせて見た。今日、綾と共に歩いた川辺の道で風景でも詩にしようかと思って。

この暖かな陽の下 明るい地面を歩く

緑と透き通る水面を君はいつも興味深げに見てたね

空は青く晴れている

君と一緒なら 真っ直ぐに続くこの道をどこまでも歩いてゆける気がする

川沿いで出会う誰もが幸せそうに笑っていた

この暖かな陽の下では 誰もが自然に笑顔になれるのかもしれない

そこまで書いて、続きは明日書こうとパソコンを閉じた。リビングに戻って紅茶を飲む。時計を見るとまだ10時。眠くなるまでまだ少し時間があるな。

ソファにもたれてぼんやりとする。綾と出会ってからこれまでを回想するともう10年くらい経っているような気がする。実際にはまだ3ヶ月にも満たないのに。実に濃密な日々だった。

僕の人生は綾に比べると平凡なものだった。毎日学校に行って、帰ってからも誰とも遊ばず、本を読み漁る日々。時々思う。綾と僕は本質的には似た者同士な筈なんだ。だけども辿ってきた道が違い過ぎて、その分、人となりも違ってしまっている所が結構あるんじゃないかって。その違いを僕は少しでも埋めたいと毎日一緒にいるんだけど、僕らは同じだから惹かれるのか、それとも違う所があるから惹かれ合うのだろうか?よく分からない。だけども、僕と綾は、これまでの僕らは互いを信頼しあえているはずだ。

もう一度寝ている綾の寝顔を見に行った。

綾、君のこれからの人生が幸多からんことを祈るよ。願わくばその片隅にでも僕を置いてくれると嬉しいと思う。

僕は自分の部屋に戻り、少し早いが今日はもう眠ることにした。