静悟の文学的空間

小説、読書感想、宮座賢治などについてのブログ

孤人物語 

山をひたすら登っていた。透き通る水面を眺めながら立ち止まっていた。山中他界。湧き水が飲める場所があった。自販機のペットボトルの水とは全然口当たりが違う。ほんの少しだけ煮詰まった脳が軽くなった気がした。

体力の限界は遥かに超えていた。頂上まではまだ遠い。この先に休める場所があったはずだ。

汗を大量にかく。片手に持った賢治の銀河鉄道の夜とペットボトルで頻繁に立ち止まりながら水分補給を行わなくてはならない。肉体を酷使すれば何かが変わるかもしれないと思ったので、急に思い立って何年前に一度登ったきりの大文字山にやってきていたが、その時より遥かに肉体が衰えている。

立ち止まりながら、川の水面を眺めながら、ようやく休憩所にたどり着いた。静かだ。木に座れるようになっている。やはり山はいい。静かで感受性が研ぎ澄まされてゆくのを感じる。既に水は空になっていた。汗が渇くまでいようと思う。30分以上座っていても飽きなかった。次第に山に住んでいる精霊になった気がしてくる。いい感じだ。本来の自分に戻れているということだ。座っている木の空洞には蟻が蠢いている。幼少期の血が騒ぎ出すのを感じた。つい先刻まで首を吊ろうとしていたが、毎日山に来れば死なずに済むかもしれないと思った。

一時間程休み汗が渇いた。そろそろ再開するかと頂上を目指して土の道を登る。

頂上に辿りついた。景色がいい。遠くに西の山が並んでいる。あの山は何ていう山なのかと西本さんに訪ねた事をふと思いだした。いい思い出の一つだ。

暑いが、頂上の景色を眺めていようと思う。座り心地のいい石を探して、景色を見下ろしていた。眠い。昨夜首を吊ろうとしたり、ベッドで何時間も思考が止まらなったり、包丁で心臓を刺そうとしたりで、全然眠れなかったから、景色を見終わったら、少し寝ようかと思う。下の方は野原になっていて、緑が広がっているのを見ると、やはり幼少期のかすかな記憶が脳の奥の方で騒いだ気がした。何故か9歳以前の記憶が全然思い出せないのだった。それ以降の忌まわしい記憶だけは大量に脳内に蓄積されていて、何十年も経った今でも僕を悩ませつづけているのに、僕が僕でいられた頃の事、一番大切なはずの思い出がすっぽりと抜け落ちているのだった。山道を登りながら眼にした川の水面の透明さや森の静けさや、小動物の気配や、拾ったはずのどんぐりにやはり過去の自分を取り戻す事が重要なのではないかと思うのだった。今の所取り戻す方法は森や山に登る事くらいだったが、失われたはずの大切な記憶が戻る日、僕を苦しめている記憶が浄化される日は果たしてやってくるのだろうか。

眠い。アスファルトに寝転がって目を閉じる。暑いが眠れない程ではない。そして僕は何日かぶりに安らかな眠りについた。

夢を見ていた。西本さんと頂上から景色を眺めていた夢だ。思い出は美化される。夢も美化されるのだろうか。夢の中の僕にとっては大切な思い出だった。ただひたすら初めて登った山の上から景色を眺めていただけなのに、僕にとって唯一といってもいい、成人してからの大切な思い出だった。

硬い石の感覚で眼を覚ますと、僕は涙を流していた。どんなに苦しんでいても、どうしても泣けなかったのに、涙を流せたのは何年ぶりだろうか。

暑い。帰りに湧き水を飲もうかと思った。山にいる時間が長いほど、浄化される気がしたが、さすがに肉体が危険を発しはじめているのだろうか。毎日来ようと思っている場所だ。また来ればいい。名残り惜しみながら、もう一度景色を振り返り、後ろ髪を引かれながら下山することにした。

命の危険を感じたいと思った。どんな方法を試してみても、どうしても止まることのなかった思考に疲れ果て、体を痛めつけたり、死を感じたりすれば記憶が消えるかもしれないと思った。だけど思っていた程の効果はなかったかもしれない。西本さんとの夢の記憶も遠くなっている気がした。

遠い。やってくる時は追い詰められていたので、どうにかなったが、帰りはバスにしようかと思う。自転車は置いてかえればいい。

バスの中は涼しくて汗で冷えてしまう。登山ルックの人がまばらに座っているだけで、少しだけ落ち着いて乗れる。大文字山や植物園にいる人達は優しそうだから好きだ。

家に帰りたくないとふと思った。あの部屋にはロクな思い出がない。夜になるまで帰らないことにした。それまでどこで過ごそう。鴨川がいい。のどかだから。バスを降りて、東の方へと歩き出した。

眠い。鴨川に着いたらベンチで寝ようかと思う。

深木君は真面目すぎるんだねぇという西本さんの言葉を思い出した。だから自分を追い込んでしまう。そうなんだろうか。僕の記憶はどうやったら消えるんだろうか。考えてしまう。この地上に舞い降りた事はどう考えても間違いにしか思えないと。

ベンチで水音をBGMに再び僕は眠りについた。また夢を見た。美化された夢だ。二人でベンチに座りながら旋回する鳶を眺めていた。

「あんなふうに飛べたらいいのにねえ」と西本さんが言っていた事を思い出す。これも大切な思い出の一つだ。

起きると既に辺りは暮れていた。まだ眠り足りない。まだしらばくここにいようかと思う。どの道部屋には帰れそうにない。

何時間も川を眺めていた。礼先生が教えてくれたチャクラ瞑想を試してみることにした。真紅から紺色まで下から順番にイメージしながら脊髄の中を駆け上ってゆくのを感じる。ああ、暖かいなと思った。やっぱりあの人は優秀なアドバイザーだと思った。ああ、記憶消えないかなと思いながら、最近はこの事ばかり考えている気がするが、僕は瞑想に浸っていた。

夜が更けた。IPHONEを見ると10時だった。いつもならそろそろ帰って眠る頃合いだったけど、今日はどうだろうか。帰りたくないなあ、あんな部屋と思いながらも、また明日山に登ろうと思い、僕は帰路についた。

部屋に帰って歯を磨いて布団に入ったけど、予想通り眠れなかった。駄目だ、横になっているだけで、脳が痛みを発し、口の中が鉄の味を発生させる。非常に頭の疲れた人だなあ、と初めて会った時、礼先生に言われた事を思い出した。生粋の空想家なんだろうなと思う。ずっと何か考えて、それでは死にたくもなるはずだと礼先生が言っていたことを思い出した。もう読むのはやめにしよう。妄想空想の才があると言ってもらえた事を励みに僕もそろそろ何か書いてみることにしよう。芸術創作は自己治癒の効果があるという。もうこの方法しかないと思った。

出来るだけ楽しい描写を選びながら、ひたすらキーボードを叩いていた。吹き出る汗を拭いながら、書いていた。水を頻繁に飲みつつ書いていた。精神性の冷え性でキーボードが叩けなかった事を思い出す。あの頃に比べれば少なくとも肉体的には今の方が幸せなんだろうけれど、つい昼間には包丁で心臓を突き刺しかけていた。分からないものだ。

肉体なんて物の数ではないと思った。長時間のタイピングによる手の痛み、汗のべたつき、それらは異常な脳の疲労に比べれば大した問題ではなかった。こうして四六時中書いていれば落ち着けるかもしれないと思った。

あれから一週間経った。時々眠りながらも、食事も摂らず、水を飲みながら、書き続けた。チラッと見ると10万字以上は書けたみたいだ。確かに微妙に微かに脳の具合は多少マシになっているような気がした。少なくとも眠っている時よりは楽だった。手が徐々に炎症を発生させてきている気がするが、まあいいか。なんとかなるだろう。寝食を忘れたタイピングの間だけはかろうじて生に繋ぎ止められている事が可能なようだった。

後一月もしない内に心地のいい眠りが訪れそうな予感がした。鬱々として熱い脳に心地のいい冷涼さを感じるような瞬間が時々あった。いつの間にか部屋から死の匂いが消え去っている気がした。

あの日、初めて書いた日から、何ヶ月経った。相変わらず僕は書き続けている。賢治は一月で3000枚書いたと言われている。彼に比べれば全然及ばないが、文庫本で何冊かくらいは書けた。詩を書いた。短歌を書いた。短編を書いた。長編物語もいくつか書いた。あくまで僕の心を癒やす事が目的だった。そしてその自己治癒の効果は色んな本に書かれていたように確かにあった。読み直すことはしたくなかった。書いたものは端から忘れてしまった。ここで僕は一つ、自身の幼少期から来る物語を一つ書こうかと思った。

一太郎の新しいページに冒頭を記した。

「じいちゃんと山を登っていた。僕は虫取り網と虫取りかごを持って歩いていた。暑い夏のことだった」

タイプする手を止めて、目を閉じると、失われた幼少期の記憶をほんの少しだけ甦えらせる事が出来た気がした。まだ記憶とさえ呼べない想像の範囲でしかないかもしれなかったが、過去の事実に近いイメージであるように思えた。

「僕はじいちゃんに手を引かれていた。葉の裏にカマキリが隠れているのを発見した。僕はすぐさま手で鎌の届かない首の真ん中を掴み、捕獲して素早く虫取りカゴに仕舞った。僕はカゴの中のカマキリを観察しながら歩いていた。忙しく鎌で頭部をかきながら、ぐるぐるとした眼でこちらを見ている彼の様子を眺めながら。中程まで来ると川が流れているのが見えた。じいちゃんと共に川に降りた。ヤゴがいそうな水の透明さと砂具合だと思った。気配に神経を集中させながら砂を慎重に掘り返してゆく。じいちゃんはただ背後で虫取りカゴを持って、僕を見守ってくれていた。何度も掘り返していると、手に何か生物が触れた。見つけた、ヤゴだ。僕は素早く両手で捕獲して、じいちゃんが広げてくれた透明袋にそれをいれた。水と砂も入れる。ヤゴが心地よさそうに泳いでいる。

再び僕とじいちゃんは山を散策しながら歩きだした。最早登るというよりは散策だった。僕はあっちこっちを奔走しながら、ひたすら生物をじいちゃんの持っているカゴや袋に捕獲して回った。気がつくとお昼になっていた。

じいちゃんと僕はゆっくりと下山して、麓から少し左に行った辺りにある喫茶店に入った。じいちゃんは安くて素敵なお店を見つける名人だった。この店は初めて入る。

大抵僕はじいちゃんと一緒にレストランに入ると、お子様ランチかカレーを食べていた。じいちゃんは僕の好みを把握しているから、いつもそれを頼んでくれていたように思う。僕は傍らに置いたカゴの中の生き物たちを時々眺めながら、このお店の個性的なカレーを口に運んでいた。今日はいつもより少しだけ豊作だった。幼い僕は眠くなってきていた。そして、いつの間にか眠ってしまったらしい。じいちゃんにおぶわれて家に帰る途中、微かに、じいちゃんの背中の暖かみを微睡みの中で感じていた気がした。

ここ辺りは僕の創作だ。

「僕とじいちゃんは二人暮らしだった。僕とじいちゃんの家は大文字山から歩いて10分くらいの雰囲気のある一軒屋だった」

帰宅してから夕方くらいまで寝ていただろうか。起きるとすぐに僕はこの日の戦果達を観察するのに没頭していた。僕はカマキリを広めの水槽に移し、雑草と小枝を配置して、最後にカマキリを投入した。見た所この子はメスのようだった。そのうち卵を天井に産み付けるだろうかとワクワクしながら、ひたすらあるきまわりながら、鎌を振り回すカマキリを観察していた。

夜になるとトイレに眼を覚ましてふとんに戻るまでの道でカマキリが水槽の青蓋にお尻から繭のような卵を産み付けているのが見えた。その神秘的な光景に僕は魅了されていた。すごい。この中から大量の小カマキリが産まれるんだな。

布団に戻るとじいちゃんはいびきを掻いて寝ていた。隣でじいちゃんの匂いを感じながら、僕は眠りについた。

トントンという音で僕は眼を覚ました。そしてすぐにカマキリの様子を見に行った。卵は青蓋に張り付いている。ヤゴの様子を見に行った。砂の中に潜っているらしく姿は見えない。しばらく観察した後、ちらりと空を見ると、今日も暑そうだ。

ここまで書いた辺りで、僕は精神状態が悪化してきている事に気がついた。そして書くのを中断した。これ以上はやめておいたほうがよさそうだ。

少し時をワープさせることにした。

じいちゃんは僕が10歳のときに亡くなった。以来僕はたったひとりきりで生きてきた。奥の倉庫にはじいちゃんが遺した大量の書物があった。それまでの僕は本なんて全然読まなかったのだけれど、何となく手にとって、読んでみた。最初は何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。純真で無邪気だった少年はじいちゃんの死とともにどこかへ行ってしまい、以来僕はあれほどまでに情熱を注いでいた大文字山の散策も川の中でのヤゴ探しも、何もかもしなくなってしまい、倉庫の中の本を読み尽くすことがじいちゃんの追善供養だとでも感じていたのか、ひたすら書物の中に身をうずめるようになった。気がつくと、7年が過ぎた。