静悟の文学的空間

小説、読書感想、宮座賢治などについてのブログ

黒猫物語

月灯の下でドイツ語の勉強をしていると、ふと気になって窓の外をい見た。12月の寒気が広がる夜の暗闇は静かで、人気がない。
何となく散歩でも行くかという気になった。
寒さに思わずジャケットで包んだ身体を抱きしめた。どこへ行くかな。
真珠庵公園でも行くか。夜の公園でベンチに座りながら夜空を見上げるというのも悪くない。

道中のコンビニで買ったほうじ茶を啜りながら、予定通りベンチに座って、静かに時を過ごしていた。今日読んだ、小説やドイツ語の文法が頭の中で整理されて、神経が穏やかに整ってゆくのを感じた。今夜はよく眠れそうだ。

「にゃあ」
黒猫が向こうから園内にやってきて、僕の足元へと歩いてきた。可愛い顔の猫だった。首輪はついてない。深夜に野良猫を見かけるのは珍しくないが、こちらへ寄ってきたのは初めてだ。
「どこから来たんだい?」
無口な僕も無人の公園では独り言を言う。
「にゃあ」
普通の猫だったら人を見ると逃げてゆくが、この猫は僕の足に体を擦り付けてくる程人懐っこい。頭を撫でると気持ちよさそうににゃあと鳴いて、ますます僕に身体を擦り付ける。しばし戯れていると可愛くて仕方ないと思うようになった。
「君は野良猫だから餌を得るのも大変だよね。そうだな・・・。ちょっと待ってな。何か買ってきてあげるよ」
財布を手にコンビニまで走った。そして小魚の詰め合わせを買って、自分用にも肉まんを買って公園まで走って戻ってきた。猫は忠実なペットのように僕の帰りを元の場所で寝そべって待っていた。
袋を開けて手のひらに煮干しを乗せて目の前まで持ってゆく。
「ほら、お食べ」
「にゃあ」
嬉しそうにムシャムシャと食べる様子が非常に愛らしかった。
自分も肉まんを齧りながら「君を家に連れて帰れたらいいんだけどな」と独り言を呟いた。残念ながら今の住居はペットが飼えないのだ。
「また会えるといいな」
寂しい一人暮らしにはペットが必要だと常々思っていた。だけどこの公園で会えるのなら部屋で飼えなくても構わないと思った。
「しかし、猫って寒くないのかな。寒いよね。いつもどこで寝てるんだい?」
「にゃあ」
食べ終えて僕の顔を見上げてくる。彼が何を考えているのかは勿論分からない。この近くの軒下を寝床にでもしているのだろうか。

「じゃあ、またね」
身体も冷えてきたし、そろそろ帰って勉強の続きでもやろうと公園を出ようとした。黒猫はにゃあと鳴いて気のせいか寂しそうに見えた。僕は猫と別れることが寂しかったので、彼もそう思ってくれていたら嬉しい。今度はキャットフードを買ってくるよ。

翌日、念の為昼間に公園を訪れた。もしかしたら昼間でも会えるのではないかと思ったのだ。だけどしばらく本を読みながら待っていても昨日の黒猫はやってこなかった。少し残念だった。本を閉じて持ってきたキャットフードをポケットにしまった。また夜に様子を見に来よう。昼は人が来るからきっと彼も警戒しているんだ。

それから部屋でひたすら太宰治の小説を読んで、夜の12時になってから、再びキャットフードを片手に公園にやってきた。果たして昨日の黒猫は昨夜のベンチの側で横になっていた。だけど今日は彼一人ではなかった。

女の子が昨日僕が座っていたベンチに腰掛けて、黒猫の頭を「よしよし」と言いながら撫でていた。長い髪の中学生くらいの子だ。
一瞬どうしようかと思ったが、一応公園の中に入ってみることにした。園内に足を踏み入れると少女はチラリと僕の方を見たがすぐに猫を可愛がる事に意識を戻した。少し離れたベンチに座ってその様子を眺めていた。もう深夜だけどこんな時間に子供も来るんだな。それにしてもあの黒猫はやっぱり人懐っこい。僕だけに懐いていた訳ではなかったんだな、とちょっと落ち込んだ。しかしそんな僕の気持ちを悟った訳ではないだろうけど、黒猫は僕の方を振り返ると、トコトコと昨日のように歩み寄ってきた。少女は呆気に取られてから僕の方を軽く睨んでいた。僕は何もしていない。
「よしよし」
何となく少女を真似てそう声をかけて頭を撫でる。何だか猫の様子から餌を催促されている気がした。やっぱり昨日餌付けしたのせいかもしれない。焦らすこともなくすぐにポケットからキャットフードを取り出して猫に与えた。彼は美味しそうに夢中になって缶詰を食べていた。
「あの、餌与えちゃだめですよ。」
「ん?」
「この公園動物に餌を与えてはいけないことになってるんです」
暗がりの中でよく見えないが、少女は整った顔立ちに見えた。小柄で下手をすれば小学生くらいに見える。それにしても餌付けはだめだったか。
「そうなんだ。でもこの子は欲しがってるみたいだよ?」
「そうですね」
彼女も猫の可愛さに葛藤しているみたいだった。
「まあ、猫の一匹くらいなら大した糞害にもならないし、いいかな」よしよしと猫を可愛がる少女。食事中の猫は少し迷惑そうだったが。

やがて食事を終えて黒猫は丸くなっておとなしくしていた。食休みだろうか。
「お兄さん。見ない顔だね。近所の人?」
「まあね」
「こんな時間に何してるの?私は時々この子の様子を見に来るんだけど」
「僕もそうだよ。もっとも昨日からだけど」
「ふうん」
よく見てみると少女はやっぱり可愛い顔をしていた。吊り目がちで形のいい眉をしていた。
「君は寝なくていいの?明日学校は大丈夫?」
「学校には行ってないの」
「そうなんだ」