静悟の文学的空間

小説、読書感想、宮座賢治などについてのブログ

僕らの旅路12 如月愛衣の辿った道

         図書館での日々

学校に行かなくなり、図書館で過ごすようになってから大体3年程が過ぎた。気がつくと私も中学生に上がるくらいの年になっていた。年齢で言うと14歳くらい。

その頃に一人の先生と出会った。今の私があるのは間違いなく先生のおかげで、人生で一番の師のような存在であった。その先生は美しい妙齢の女性だった。先生と出会えた事を私は今でも神様に感謝している。

両親はその頃には学校に行かない事には殆ど触れなくなっていた。けど、さすがに何年も経ってくると心配になってきたらしい。それで、どこから聞いてきたのか不登校の子向けの家庭教師のサービスなどを探してきて、私に付けてくれたのだった。小久保鳴という名前のその女性を私はずっと鳴先生と読んでいたから、小久保という上の名前はすっかり忘れていた。

両親は主に私の学力面を心配していたようだけど、鳴先生が初めて来た時に私の各教科の習熟具合を見てくれて、「特にこの歳の子として遅れている訳ではない」と両親に言ってくれていた。一応、本が好きだったので学校に通わないなりに、図書館にある参考書なんかで一人で勉強していた事が役に立ったようだ。初回の時に受けた学力テストも特に難しいとは思わなかった。そして、鳴先生がついてくれるようになってから、両親が私に何か言うことはほぼなくなった。また無理に登校させて体調を崩すようになっても困るし、鳴先生がいつも私の事を良いように報告してくれていたおかげもあると思う。

そんな鳴先生との授業だけど、自宅ではほとんど行われなかった。というのも、先生は私がこの不登校の間に自ら作り上げたルーティーンを尊重してくれたのだ。開館と同時くらいに図書館に行って、夕方帰ってきて、家で本を読んで寝るという毎日の習慣を。

私が他の先生につくのを嫌がったから、鳴先生はほとんど私につきっきりになってくれた。大体お昼頃図書館に来てくれて、そこで私に勉強を教えてくれた。お昼御飯は中庭で司書さんと3人で食べた。私は無口だったから黙々と食事に集中していたけど、司書さんと先生は色々話していた。私について褒めてくれたりする事も多くて、その事はとても嬉しかったんだけど、何となく素知らぬ風を装っていた。この頃の私にとって信頼できる人はこの二人だった。信頼できる人が二人もいるなんてこんな自分はなんて幸せなんだろうと思っていた。

司書さんと話しているのを聞いていて、鳴先生は大学で博士号まで取った秀才であること、それもかなり有名な大学に行っていた事を知った。先生の授業は実に分かりやすくて、質問しても何でも答えてくれたから、何となくそうなんだろうなとは思っていたけれど。でもそんなに優秀だったのに、どうして今は家庭教師の先生をしているんだろうと疑問に思って聞いてみた。

「先生、何で大学辞めちゃったの?」

「大学って結構面倒な世界だからね。今の方が自由に研究できていいよ」

先生は私に教える仕事と並行して自分の好きな研究も毎日独自に進めているよと言っていた。そんな先生を見て思った。そっか、学校の外にも世界はいくらでも広がってるんだなって。やっぱり学校なんて行きたくなければ、行かなくったっていいんだ。

私は将来大学には行きたいなと思っていたのだけど、何か職業についている自分を全くイメージ出来なかった。大人になった私は一体どのように生きているんだろうな?と常々ぼんやりと思っていた。

司書さんとの三年間で私も読書に関して随分と導いてもらった。多分一人だったら何を読んだら良いのかもっと迷走していたと思う。誰もが知っている文学の名作だけじゃなくて、おすすめの学術書なども司書さんに勧めてもらって読んでみると、最初は難しかったけど面白かった。

鳴先生に出会ってからは読書案内をしてくれる人が2人に増えた。さすがに本物の学者先生は違う。司書さんも相当な勉強家だったのだと思うけど、鳴先生の博識ぶりには及ばなかった。私は小説が好きでよく読んでいたから先生もそれに合わせてお勧めの作家を教えてくれた。

当時読んでいたのは、源氏物語以外だと、ドストエフスキー、太宰、カフカシェイクスピアグリム童話など。先生は学者らしく論理肌の人でどちらかと言うと学問の世界に生きている人だったが、私は小説を読んでいる方が好きな完全な芸術肌の人間だった。先生とは随分気が合うと思っていたけど、今思うと別の世界に生きる人だったのかもしれない。先生は色んな分野を網羅していて、遥かに高い所から私を見守ってくれているような存在だった。

大学へ

そんな生活は私が18歳になるまで続いた。今思うと随分と長続きしたものだと思う。鳴先生は私が大学に入れる年まで無理をしてついてくれいたんだろう。その証拠に先生は私の所を辞めると家庭教師を辞めてふらりと姿を消してしまった。今もどこで何をしているのか分からない。司書さんも図書館を辞めてしまってそれっきりになってしまった。二人との別れは私にとってとても寂しいものだった。

ともかく私は18歳で高校卒業資格の試験にも合格して晴れて大学生になたった。大学に入っても相変わらず私は本ばかり読んでいて、大学の図書館に籠もり放しだった。

大学はそう悪いところではなかった。地元の国立大学だったから、放任主義的な感じで大体において自由だった。中学も高校も行かなかったから周りの学生達とは合わなかったけど、勉強に打ち込んでいる限りは楽しかった。サークル活動やら他の活動には一切興味がなかったのでやらなかった。ある意味、鳴先生達と図書館にいた頃と変わらない、平和で楽しい日々を過ごす事が出来ていた。違う点があるとすれば、大学を通して世の中との接点が出来たことだろうか。自分の意見なり思想なりが求められる場が、そこにはあった。私が論文が書いてゼミで発表とかしたりすると、教授達は褒めてくれた。

大学を卒業した後、教授に研究室に残る事を勧められた。私も働いているヴィジョンなんて全然見えなかったから、院に進もうかと思ったのだが、一つ問題があった。このまま大学で研究者としての道を歩むとなると、学会で論文とか発表しないといけなくなる。また学生たちに講義をしたりしないといけなくなるかもしれない。人前で喋るなんて私には絶対無理だと思った。

思えば、紫式部を一応の目標としてここまで独学でやってきたようなものだったけど、彼女も内向の人で宮中では気苦労が多かったと聞く。もう大学も充分楽しんだし、鳴先生のように、ここらで大学を離れる事にした。

大学を出て何をするか。随分と悩んだが、結局私には鳴先生くらいしか参考になる人がいなかった。性格上、人の中で生きて行く事は出来ない。だけど一対一なら何とかなるかもしれないと、鳴先生と同じ不登校児をサポートする家庭教師になることにしたのだった。

最初は家庭教師の事業所に就職したのだが、事務所に顔を出したりするのが面倒で一年程でそこは辞めた。そして何とかフリーで今までやってきた。ネットでこちらから募集しつつ、教師を探しているカキコミに応募するかだった。

そして、何年かが過ぎて私も何人か生徒を持った。色んな子がいたけど皆不登校に悩む子ばかりだった。そういう生徒の方が私自身一緒にいて気が合ったし、向こうも私のように対人に難がある先生の方がやりやすいようだった。高校や大学に受かって、今は青春を謳歌しているような子もいる。

この仕事にそれなりのやりがいを感じてはいたものの、あくまでそれなりでしかなかった。それまでは。

しかし奇妙な青年と少女の2人組と出会った事により私の人生は一変することになる。優しそうな青年と彼と一緒に住む小学生くらいの女の子との出会いによって。